第一生命ビルのマッカーサー記念室へ


GHQに接収された第一生命ビル


第二次大戦の終戦直後、GHQ(連合国軍総司令部)が置かれた第一生命ビル。

今も日比谷交差点近く、皇居のお濠を前にして建っている。

GHQの総司令官ダグラス・マッカーサーが執務をしていた建物として知られる。
その執務室の中に入るチャンスがあったので、訪ねてみることにした。

誰でも入れる無料公開が行われていたのだ。

現在

今も建物は同じ場所にあり、建物の前面は昔と変わらない。

後方に、農林中金のビルと一体化させたうえで高層部分が増築されている。

GHQに建物を接収されたのは終戦直後の1945年9月15日、返還されたのは1952年9月17日で、今年は返還からちょうど60年になる。

その節目の年であることから、7月17日から22日まで、マッカーサーが執務をしていた部屋(マッカーサー記念室)が一般に公開されたのだ。

ビル前のマッカーサー

マッカーサーは、終戦後の8月30日、厚木海軍飛行場に到着。
コーンパイプを手に飛行機から降りてくる姿が、よく知られている。

9月2日、東京湾上のミズーリ号で降伏文書の調印。

9月8日、帝国ホテルでの昼食会に先立ち周辺を視察した時に「第一生命館」が目に留まり、自ら内部を検分。

GHQ用庁舎として接収されることが正式に決まった。

以来、1951年4月11日までの6年近くに亘って、ここで執務をすることになる。

「第一生命館には『民生局』が置かれ、昭和21年(1946)2月4日から12日までのわずか9日間で、日本国憲法の原型であるGHQ草案が作成されたと伝えられている」

一般公開

一般公開が行われているのを知って、公開最終日の22日に訪ねてみた。

公開時間は10時からの予定だが、9時30分には、たくさんの人が列を作っていた。

部屋は16坪

マッカーサー記念室は6階にある。

終戦当時、第一生命社長だった石坂泰三が使用していた部屋をそのまま使ったのだという。

広さは54㎡、約16坪。思ったよりも狭い感じだった。

机、いす、飾られた絵も当時のままという説明だった。

執務風景

「マッカーサーの日常」

「マッカーサーは、日本滞在時の住居としていたアメリカ大使館を午前10時30分に出て、第一生命ビルに向かい、午後になると大使館に戻って昼食をとり、短時間昼寝をした後再び戻り、夜遅くまで執務していました。

部下にも重労働を強いたそうですが、自身も、目がかすんで時計の針がよく見えなくなるまでオフィスを離れようとしなかったそうです」と、もらったパンフレットに書いてあった。

机には引き出しがない

机には引き出しがない。

「マッカーサーは、何事も即断即決をするので、この机を愛用していました」とも書かれていた。

愛誦詩

室内には、マッカーサーが日々愛誦し、座右の銘としていた詩が刻まれた記念碑があった。

それは「YOUTH」、青春と訳された詩であった。

青春

作者は、サミュエル・ウルマン。

日本語訳

日本語訳は岡田義夫。

私には、次の言葉が印象に残った。

「年を重ねただけで人は老いない
理想を失う時に初めて老いがくる」

その通り。

遅ればせながら、私にとっても座右の銘として、これからを生きなければと改めて思った。
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め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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