吉野家の原点~築地市場


築地市場へ

築地中央卸売市場の前は、週に何回も通っているが、久しぶりに市場の中に入ってみた。

業者が競り落とした荷物が市場内に所狭しと並んでいる。

左に見える運搬車は電気で動く。

市場内とその周辺では電気自動車が、運搬の主役だ。

魚がし横丁

一般の人たちが市場の中で一番関心を持っている場所といえば、右手に見える「魚がし横丁」。

人気の飲食店が軒を並べていて、一般の人たちも利用している。

のり屋さん

ここは、飲食店の他、市場関係者のための品物を売る店も多い。

この海苔屋さんは、創業が安政元年というから1854年。

ペリーが前年に続いて2回目の来日をした年だから、約160年の歴史を持つ。

店頭に、こんな張り紙があった。

張り紙

どうやら、有名寿司屋さんが仕入れに使っているお店のようだ。

海苔屋さんによって、海苔の品質は、どれほど違うものなのか。
海苔によってどれほど寿司の味に差が出るのか教えてもらいたい気がする。

人気店の行列

ちょうど、昼の食事時で、人気店の前には行列ができていた。

市場内には、もう一つ飲食店が集まった一角が、ここからほど近いところにある。

日本海軍発祥の地

その途中に、築地魚市場の守護神「水神さま」の社と、日本海軍発祥の地のゆかりをしるす「旗山」の碑がある。

江戸時代、ここには松平定信の庭園があった。

明治維新後の明治5年、ここに海軍省が置かれ、「海軍卿の旗」がこの地に掲揚されたことから「旗山」と呼ばれた。

「水神さま」は、関東大震災後に魚市場が日本橋から築地に移ってきたときに、一緒にここに移ってきたのだ。

吉野家築地1号店。

「水神様通り」と呼ばれる飲食店などが集まった地区の入り口に、吉野家「築地1号店」がある。

いわば、牛丼吉野家の原点とも言える店だ。

吉野家のホームページにも、この店の正面入り口の上にも、その旨の口上が述べられている。

店頭の口上

吉野家が日本橋にあった魚市場に誕生したのは、明治32年(1899)。

関東大震災後の大正15年に、築地市場に移転してきた。

昭和33年(1958)、牛丼屋の企業化をめざし、株式会社吉野家を設立。

その頃の、この「築地1号店」での取り組みが吉野家の原点になっているという。

「・・魚河岸の皆様にご満足頂くために、自然と培われていったのが『はやい、うまい、やすい』牛丼をお出しするという私たちの基本でした」

口上2

「吉野家の味は、まさにこの地で生まれたものなのです」と書かれている。

味とともに、ここでは「新しい言葉」も生まれてきたようだ。

例えば、「築地1号店」ではこだわりを持った客が多いため、ご飯や汁の量などに関して様々な注文の言葉があるのだという。

汁に関しては

「 つゆちょい抜き
完全つゆ抜き
つゆちょいだく - つゆだくよりもご飯へのつゆの浸り具合がやや軽い。
つゆだくだく」

といった注文の言葉があるのだそうだ。

私たちも日常使っている「つゆだく(つゆがたくさん、多め)」という言葉は、ここから生まれたのではと思ってウィキペディアの「牛丼」の項を見ていると、こんなふうに書かれていた。

「つゆだくの語源・普及は、1950年代頃につゆを多めに頼む常連客が存在しており、その注文を簡潔に調理場へ伝えるため店員同士のやりとりに使用する合い言葉(符丁)として使い始めたとされ、1990年代中頃には一般にも定着し、1997年頃につゆだくで牛丼を食べることが女子高生の間で流行して一気に広まりを見せた」

どうやらここが、その言葉の誕生の場である可能性は高いようだ。

吉野家の「築地1号店」。
そんな歴史があったことを全く感じさせない、ごく普通の店だ。

朝が早く、仕事終わりも早い市場にあるお店だけに、営業時間は、5時~13時。

国内に約1200あるというチェーン店の中でも、もっとも早じまいの店だと思う。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
スポンサードリンク
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR