江戸の時の鐘

圓通寺

お盆の墓参りに、港区赤坂の圓通寺に出かけた。

我が家の菩提寺だ。

開創は寛永2年(1625)だから400年近い歴史を持っている。

実は、この圓通寺は、江戸の初期、庶民に時を知らせる「時の鐘」を撞いていた寺の一つだった。
(18世紀中ごろ以降、「時の鐘」は赤坂・田町にあった成満寺に変わっている)

鐘楼

江戸時代、現在のように時計が普及していないから、庶民は、「時の鐘」が頼りだった。

ここは、TBSの裏手の高台にあるから、鐘の音が周辺の住民によく聞こえたに違いない。

江戸市内の時の鐘

江戸の「時の鐘」として、よく知られているのは、この図(江戸東京博物館の展示資料)にある9か所。

おおざっぱに言って、この時の鐘が聞こえる範囲が、当時の江戸の範囲だったのだろう。

この他、
「幕府の公文書には寛延3年(1750)当時、下大崎村寿昌寺にも置かれていたと記されているほか、
他の資料では、目白(新福寺)、目黒(祐天寺)、巣鴨(子育稲荷)にも時の鐘が置かれていた」(日経新聞2002年5月24日、「八百八町、時は鐘なり」浦井祥子)との記事も、以前目にした。

江戸が100万都市に拡大してゆく中で、「時の鐘」も増えていったのだろうと思う。

石町時の鐘

これは、日本橋小伝馬町の十思公園内にある「石町(こくちょう)時の鐘」。

江戸で最初の時の鐘は、この「石町・時の鐘」であった。

本石町3丁目(現在の本町4丁目、室町4丁目の一部)に設置されたというから、今の日銀本店からほど近いところにあった鐘だ。

(現在は十思公園に移設されているが、ここは江戸時代に「伝馬町牢屋敷」があったところ、
吉田松陰が刑死した場所としても知られている)

説明

説明によると、「鐘楼堂を建てて鐘を撞いたのは寛政3年(1626)。
鐘の音が聞こえる範囲の街から、鐘楼銭を集めて維持、運営が図られていました」と書いてある。

鐘つき役はかなり実入りの良い職業だったという。

鐘の撞き方だが、聞き手が時刻を間違えないように工夫があった。

その一つは、「捨て鐘」だ。

まず、「捨て鐘」と呼ばれる前触れを3回打ってから、時刻の数だけ鐘を撞いたという。

つまり、9ツ時(正午頃)だと、合わせて12回、鐘が撞かれた。

そして、捨て鐘であることがわかるような工夫もあった。
1打目を長く撞き、2.3打目を続けて撞く。

そして間をあけてから、時刻の鐘をつきはじめるのだ。

圓通寺の鐘

そして、「時の鐘」が、それぞれ勝手に時を告げることがないようなルールもあった。

それは、「寛永寺を始めに、市谷、赤坂、芝の順に、前の「捨て鐘」の音を聞いて、遅速なく撞き始めるよう申し渡されていた」というのがそれだ。

なるほど、そうすれば「時間情報」が、それこそ音速で次の「時の鐘」に伝わってゆくのだろうと感心した。

と同時に、「赤坂と芝・切通しまでの距離は直線で約2キロ。
今は、どんなに大きな鐘を撞いても、騒音で鐘の音が聞こえてくることはないのでは」と思った。


圓通寺の梵鐘は、港区の有形文化財・歴史資料に指定されている。

圓通寺の資料によると、江戸時代、鐘が撞かれたのは

毎日、明け六つ(午前6時)、午(正午)、暮れ六つ(午後6時)の3回だった。

今、この鐘の出番は、大みそかの「除夜の鐘」の時だけ、年に1回に過ぎない。

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め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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