南町奉行所は有楽町、北町奉行所は東京駅にあった


前回、大岡越前守が登場したので、今回は江戸の奉行所の話。

時代劇にたびたび登場する江戸町奉行所。
南・北奉行所のあった場所が、わずか1キロしか離れていなかったことを皆さんはご存知でしたか。

まずは、南町奉行所跡。
有楽町
ここはJR有楽町の中央口を出てすぐ、画面左手には「イトシアプラザ」がある(ちなみにイトシアは、フランク永井のヒット曲「有楽町で会いましょう」の歌詞に由来している)。
そして、この建造物(地下とを結ぶエスカレーター)の側面に案内板が埋め込まれている(画面左下、石に腰を掛ける若者の右手)。

説明板
奉行の職掌は、江戸府内の行政、司法、警察など多方面にわたり、南と北は月番で交代に勤務したと書いてある。大岡越前守忠相は、1717年(享保2年)から36年にかけてここで執務をしていたそうだ。

そして今度は、北町奉行所跡に向かう。

八重洲北口
有楽町駅から走っておよそ1キロ。
隣の駅・東京駅の八重洲北口の近くに、北町奉行所跡があった。
この八重洲北口を入り、右側・大丸の売り場に沿って右に折れると、ビルの出口が見えてくる。

出口の手前
右側の壁、腰下の高さにプレートがはめこまれていた。

北町奉行所跡
あの有名な金さん、遠山金四郎が1840年から3年、北町奉行の職にあった、と記されていた。

南北奉行所がこんなに近いとは意外な発見だった。
そして、こんなに往来の激しい繁華街に、罪人などを取り調べるお白洲が江戸時代にあったとは。

ほとんどの人は、案内板に気付くこともなく足早に通り過ぎていった。
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め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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