迷子標(まよいごのしるべ)


東京駅の高架下

この日のジョグは、JR東京駅近くが目的地だ。

江戸時代、町民によって設けられた「迷子の案内板ともいえる石標」を見に行くことにした。

途中、東京駅の高架下にあるお店の天井付近から、冷気が勢いよく吹き出ているのが見えた。

この日は最高気温が30度を超え、フルで冷房機を稼働させていたのだろう。

目指す場所は、ここからすぐ近くの場所だ。

一石橋地図

目的地は、外堀通りの一石橋。
呉服橋の近くだ。

迷子標

橋のたもとにある黒い石標が、「一石橋 迷子知らせ石標」だ。

迷子で子供を見失った親と、迷子を見つけた人が、互いの情報をこの石標に貼り、迷子が無事に親元に帰るようにと立てたものだ。

説明1

正面から見た石標。

説明には「江戸時代も後半に入るころ、この辺から日本橋にかけては盛り場で、迷子も多かったらしい」と書いてある。

このため、日本橋から一石橋にかけての町名主などが世話人となり、町奉行に申請して、安政4年(1857)に建てたものだ。

説明2

こちらの側面は「たつぬる方」と彫ってあり、上のくぼみに、迷子になった子供の名前、年齢、特徴などを書いた紙を貼ることになっていた。

説明3

こちらは「志(知)らする方」。

迷子の子供に心当たりのある人が、その情報を書いて知らせるスペースだ。

迷子を、無事に親元に帰すためにとても良い仕組みだと感心したのだが、この石標のレプリカが展示されている江戸東京博物館には、次のような説明が書かれていた。

「こうした石標が江戸の各地に建てられた背景には、迷子が発見された町にその扶養が義務付けられていたため、そのための負担が町の財政を圧迫していたからである。

『迷子標(まよいごのしるべ)』は、江戸の都市としての一側面を示している」

ということは、迷子を収容した町からの情報が、子供を見失った親の情報より先に掲示されるケースもあったということだろう。

ウィキペディアによれば、江戸の人口は18世紀の初頭には、100万人超と世界で最も人口の多い都市であったと推定されるとのこと。

なるほど、そういう事情もあったのかと理解した。

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め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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