広重の描いた幟~住吉神社の大祭近づく

広重の浮世絵

広重が描いた名所江戸百景「佃しま住吉の祭り」。

画面中央に書かれた大幟には「住吉大明神」と書いてある。

8月初旬に開かれる佃島住吉神社の大祭で、この絵に描かれた大きな幟を見ることができる。

幟を建てる柱と、それを支える「抱き木」は、4年前の大祭が終わった後、腐食を防ぐために地区の川の中に埋められていた。

6月撮影

今年の6月下旬に撮影した写真では、まだ川の中に埋められていた。

木札には、
「此の場所には、江戸時代後期・寛政拾年(1798)徳川幕府より建立を許可された大幟の柱、抱が埋設されておりますので、立ち入ったり掘り起こしたりしないでください」と書かれている。

掘り出された跡

現在の様子は、掘り出されてこんな感じだ。

7月8日に、地区の関係者が総出で、柱などを掘り出したのだ。

抱き木

そのうち「抱き木」と呼ばれる幟を支える部分は、既に、こうして組み立てられている。

近くによると

近くに寄ってみると、やはりその長い歴史を感じさせる。

この抱き木は佃の3地区それぞれに2基ずつ、計6基組み立てられている。

つまり大幟は、祭りの間、全部で6本翻ることになるわけだ。

桔梗の花

佃島の歴史は、
摂津国西成郡佃の漁師が家康一行を漁船で渡した縁で、天正年間に家康の関東下向に従い、
隅田川の中州・佃島に移り住んだのがそもそもの始まりだから、400年を超える歴史を刻んでいる。

抱き木の近くでは、桔梗の花が可憐な花を咲かせていた。

棹

大幟旗をつける柱は、まだシートにくるまれている。

大幟旗を一斉にあげるのは、大祭の前日・3日の午後5時と決まっている。

高さは電柱ほど

地元の方に話を伺うと、大幟旗は、建てるとこの電柱ほどの高さになるという。

見事な眺めなので、是非見に来てほしいと話してくれた。

大幟旗には年号も記されていて、この地区のものは明治の年号が刻まれているとのこと。

広重の描いた幟の年号は、「安政四年(1857)六月」となっている。

広重が亡くなったのは1858年だから、広重の亡くなる前年に作られた大幟ということになる。

日程表

地区の建物の壁には、祭りの作業日程表が張られていた。

住吉神社の大祭は3年に一度で、本来は去年が大祭の年だった。

ところが大震災で中止になったため、今年の大祭は4年ぶりのことになる。

広重の描いた大幟旗の風景がみられるのは、もうまもなくだ。
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め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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