東京オリンピックから半世紀


五輪橋

ロンドンオリンピックの開幕は今月27日、あと3週間余りとなった。

原宿駅から代々木の国立競技場に向かう途中に、JRの線路をまたぐ橋がある。

その名も「五輪橋」。
橋の欄干部分には、スポーツをする人物のレリーフが飾られている。

近くにある歩道橋には「五輪歩道橋」という愛称がついていた。

このあたりに、当時、競技の会場になった施設や、選手宿舎があったことを思い起こさせる。

国立代々木競技場

橋を渡って、NHK放送センターの方に向かうと、国立代々木競技場の二つの体育館が見えてくる。

丹下健三の名建築といわれ、東京オリンピック当時は、第一体育館が「競泳」、第2体育館はバスケットの会場となった。

2020年の東京オリンピック招致計画では、ハンドボール会場に予定されている。

代々木公園に残る選手宿舎

国立代々木競技場と道路を挟んで反対側にある「代々木公園」。

ここには、東京オリンピックで選手宿舎として使われた建物が、現在も保存されている。

「代々木公園」は、もともと「代々木練兵場」だったところだが、終戦後は米軍の宿舎用地「ワシントンハイツ」として使われていた。

オリンピックを前に日本に返還され、ワシントンハイツの戸建て住宅を選手村として改修したのが、この建物だ。

この建物には、オランダの選手が入居していたと説明に書かれてあった。

ヘーシンク



オランダ選手といえばすぐ思い出すのが、柔道無差別級で、日本の神永選手を破り優勝したこの人・アントン・ヘーシンク選手。

「柔道・日本」が金メダルを取れなかったショックは、当時相当なものだった。

しかし、そのことが逆に、「柔道」を日本だけのものでなく世界のスポーツにした大きな転換点だったのではないだろうか。

ヘーシンク選手は、抑え込みで優勝が決まった瞬間、歓喜のあまり畳の上に上がろうとしたオランダ関係者を手で制して試合場に上がらせることはなかった。

あのシーンはとても印象的なシーンで今でもはっきり覚えている。

あの行動は、「『礼にはじまり、礼に終わる』という柔道の精神を体現したものとして、今も高く評価されている」と、ウィキペディアに紹介されている。

ヘーシンク氏は身長が198センチ、昔、新幹線のホームでお見かけした時ことがあったが、その大きさに圧倒されたことを思い出す。

2年前に76歳で亡くなっている。

晴海のフェリーターミナル

東京は今、2020年のオリンピック開催地として立候補している。

2016年のオリンピックに立候補した時は、中央区・晴海のフェリーターミナル近くに、メインスタジアムを新たに作る計画だった。

しかし、ここに新たにスタジアムを作る計画は、今はない。

JOC(日本オリンピック委員会)のホームページを見ると、2020年の東京オリンピックを「ニッポン復活オリンピック・パラリンピック」と謳っている。

会場計画

会場計画を見ると、メインスタジアムは東京オリンピックのときと同じ「国立霞ヶ丘競技場」だ。

そのほかの会場も、皇居とお台場の周辺など都心に集中している。

お台場の沖で造成が進む埋め立て地も、会場として計画しているようだ。

国立霞ヶ丘競技場

48年前の10月10日、この競技場で開会式が行われた時、自衛隊の編隊飛行チーム「ブルーインパルス」が、会場上空に五色の五輪マークを描いた。

肉眼で見たように記憶しているのだが、どの場所で見たのか、確かな記憶はない。

しかし、円谷選手のマラソン、三宅兄弟の重量挙げ、東洋の魔女と呼ばれた女子バレーボールの活躍ぶりは今も忘れない。

高校の友達と、サッカーの3位決定戦を見に行ったこともいい思い出だ。

JOCは開催ビジョンとして、オリンピックは「新しい日本を作るチカラになるはずです」と書いている。

オリンピックの開催については様々な意見があるだろうが、生きているうちにもう一度自国でのオリンピックを見てみたいというのが、私の思いだ。
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め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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