どこか、もの悲しい風景

天王洲、海洋大学

天王洲の水門。

水門の左に木々が見えるが、そこは東京海洋大学の品川キャンパス。

平成15年に東京商船大学と合併して東京海洋大学となる前は、東京水産大学といった。

船が見える

よく見ると、キャンパス内に白い船があるのが見える。

大きなマストがついている。
もう少し近くに寄ってみる。

雲鷹丸

雲鷹丸という船名が見える。

調べてみると、日本の近代漁業の歴史の中で大きな足跡を残した船であることが分かった。

雲鷹丸は1909年(明治44)に建造され、東京水産大学の前身である水産講習所の研究練習船として活躍。

特に、1914年(大正3)6月ごろ、カムチャッカ西海岸沖で、タラバガニを原料として船内で缶詰の製造に初めて成功し、蟹工船事業の開発に大きな役割を果たした。

小林多喜二の小説に「蟹工船」という作品があるが、その「蟹工船」だ。

大正の頃の勇姿

雲鷹丸は、研究練習船として昭和4年まで計33次の航海を行った後、係留練習船として使用されていた。

そして、1962年(昭和37)には、ここ品川キャンパスで陸上展示保存されることになり、
船体のうち吃水線以下を切断して1970年(昭和45)、東京水産大学70周年記念事業の一環として復元された。

登録有形文化財

1998年(平成10)には、登録有形文化財の指定を受けている。

外観は、運河沿いの道から常に見ることはできるが、内部の見学はできない。

どんな船であったかの説明も見えない。

一部に錆

長い間の戸外での展示で、少し錆も出てきている。

写真を撮っていて、少し「もの悲しさ」を感じた。

天王洲水門

カメラを持って後ろを振り向くと、ちょうど天王洲水門から、船が東京湾に向かって進んでいこうとしていた。

「もの悲しさ」を感じたのは、二度と海に帰ることのできない船をそこに見たこともあるだろう。

木の陰にあってよく見えない

木々の陰になって、場所によっては船の姿は殆んど見えない。

あまり人目に触れることなく、風化してゆく雲鷹丸。

そんな姿に、堀口大学の訳詩集「月下の一群」に載っているマリー・ローランサンの詩「鎮静剤」の最期の一行を思い出した。

「死んだ女より もっと哀れなのは 忘れられた女です」


私はたまたま、ネットで検索してこの船の歴史を知ったが、普通そこまでして調べる人は少ないはず。

この船の現役当時の様子がもっとわかるように、もう少し展示を工夫することはできないものだろうか。

それが、引退した船に対する礼儀であるような気がするのだが。

 
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雲鷹丸

雲鷹丸の修復への寄付を、迷っていましたが、こちらのブログを読んで、寄付をすることに、決めました。
海に戻ることはないでしょうが、風化させてはいけない気がしました。
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め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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