狂歌師たちの辞世

勝鬨橋下流

ここは、勝鬨橋の下流の隅田川。
台風4号の大雨で、隅田川の水かさは増し、水も濁っている。

遊覧船の「ヒミコ」と、また出会った。
川向うの建物は、築地中央卸売市場だ。

地図

地図で見ると、こんな感じ。
隅田川左岸のテラス、ちょうど「現在地」と書かれた場所から撮影している。

そして、地図の右上のところに「十辺舎一九墓」と書かれているのが見える。

あの「東海道中膝栗毛」の作者として、広く知られている人物の墓が、近くにあるのだ。

東陽院

墓があるのは「東陽院」というお寺。

墓はお寺の建物の中にあって、外からは見えない。
門前に、墓碑と説明があった。

十辺舎一九

十辺舎一九(明和2・1765-天保2・1831)は、静岡の人、武士の家に生まれたが江戸に出て、出版元の蔦屋重三郎方に寄宿して、黄表紙、洒落本名など多くの作品を書いた。

1802年に出した「浮世道中膝栗毛」が大評判となり、以来21年間に亘って続編を書くなど大人気作家になった。

説明

説明板には、一九の辞世が紹介されているのだが、これがまた面白い。

「この世をば どりゃおいとまに せん香の 煙と共に 灰左様なら」

有名な狂歌師の太田南畝(蜀山人、四方赤良)を師と仰いでいたというだけあって、見事な辞世だ。

ただ、実際の一九の人柄は、辞世のように軽妙・洒脱というわけではなく、気難しい性格であったようだとウィキペディアには書いてある。

蜀山人

それでは、師である太田南畝の辞世はどのようなものだったのだろうか。

太田南畝(1749-1823)は、幕府の役人だった。

本念寺

ここは、太田南畝の墓がある文京区白山の本念寺。

門前にある説明によると、

「17歳で幕府に出仕以降、能吏として活躍。一方19歳で「寝惚(ねぼけ)先生文集」を著し、文名を高め、以来多くの作品にみられる軽妙・洒脱な筆法によって、町人文学の中心的存在となった。

さらに狂歌の流行を見るに及び、彼の狂歌号「蜀山人(四方赤良)」の名声が高まった」と、紹介されている。

ウィキペディアによると、

「(松平定信の寛政の改革の世に流布した)『世の中に 蚊ほどうるさき ものはなし ぶんぶといひて夜も寝られず』という有名な狂歌の作者と目されると、弾圧を恐れて狂歌をやめ、職務に励んだ。

辞世は『今までは 人のことだと思ふたに 俺が死ぬとはこいつはたまらん』と伝わる」
と書かれている。

説明

一方、寺の門前にある文京区教育委員会の案内板には、辞世として

「生き過ぎて 七十五年くいつぶし 限り知らぬ 天地(あめつち)の恩」という歌が紹介されている。

太田南畝に対する期待値が高いせいか、どちらであっても余り機知に富んだものとは言えない辞世に思える。

狂歌師を代表する人物だけに、「うーん」とうならせる辞世を残してほしかった。

残念。

恋川春町

もう一人、紹介したいのは恋川春町(1744-1789)、

太田南畝らと同じ時代の、戯作者、浮世絵師であり狂歌師(号は、酒上不埒・さけのうえのふらち)でもある。

駿河の1万石の大名に仕える武士であると共に、
教養ある大人向けの読み物である黄表紙というジャンルを開拓した、売れっ子の作家でもあった。

百人一首をもじって紹介されているが、書かれている歌は

「もろともに ふりぬるものは 書出しと くれ行(ゆく)としと 我身なりけり」

”(読み物の)書出し、過ぎ去る年月、それに我が身、それらが一緒になって古びてゆく”とでもいう意味だろうか。

墓石

墓は新宿2丁目の「成覚寺」にある。(4月28日のブログ「宿場町・新宿の記憶」でも紹介した寺)

恋川春町は、「鸚鵡返文武二道(おうむがえし ぶんぶのふたみち)」という黄表紙の作品が、松平定信の文武奨励策を風刺した内容であることから呼び出しを受ける。

彼は病気と称して出頭せず、隠居。それから2か月余り後に死亡している。

自殺と推測する著作もあるという。

説明

墓石の横の説明には、辞世として、次のように紹介されている。

「生涯苦楽 四十六年 即今脱却 浩然帰天

我も万た 身はなきものと おもひしが 今ハのきハゝ さ比し(さび)しかりけり」

苦もあれば楽もあった四十六年の生涯。
今、浩然として天に帰ろうとしている。

自分でも、この身はいつか消えるものとは思っていたが、生と死の境に来てみれば寂しいものだ。


どこかしら、死への覚悟が感じられる辞世だ。

そして、仕える身として主家に迷惑をかけるわけにいかないと、自ら死を選択したのかと思わせる内容でもある。

急に死を迎えたのではなく、ある時間を死と向き合って辞世を考えたのではないかと思わせ、その気持ちがよく伝わってくる。

十辺舎一九の辞世も、生前に用意していたのだろうと思わせるものだ。


辞世は、人物像やその人の人生を知るための一つの手がかりになるもの。

大切な文化でもある。

「私も、そろそろ、いい年齢になってきたのかもしれない」と感じ始めた、今日この頃だ。
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プロフィール

め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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