北斎通り~いろんな人が住んでいた

北斎通り

墨田区亀沢の江戸東京博物館から、JR総武線のすぐ北側を、錦糸町の方まで並行して伸びるこの道路が「北斎通り」だ。

葛飾北斎が生誕した地に因んで、平成11年に命名されている。

街路灯ギャラリー

道路の両側の街路灯には、北斎の作品が合わせて94点展示されている。

この作品を見ても、「流石!北斎、ほかの絵師とは違う」と思わせる腕の冴えを感じさせる。

生誕地の説明

亀沢2丁目のあられ屋さんの入り口の横に「葛飾北斎生誕地」と記した案内板が立っていた。
説明は、このように記されている。

「宝暦10(1760)年9月23日、本所南割下水(みなみ・わりげすい 墨田区亀沢)に生まれた北斎は、浮世絵の役者絵を出発点として、狩野派、光琳派、大和絵など様々な流派の技法を学び、新しい画風をどんどん確立させて多くの名作を遺しました。
代表作・富嶽三十六景は天保2(1831)年から天保4(1833)年にかけて制作され、とても70歳を過ぎてからの作品とは思えません。

80歳を過ぎても制作意欲は衰えず、死の床に就いた嘉永2(1849)年、『あと10年、いや5年命を保つことを許されるなら、必ずや本物の画工になり得たであろう』といって息を引きとったといわれています。
常に新しい画法に取り組んできた北斎らしい臨終の言葉でした」

割下水

割下水とは、水はけを良くするために設けた排水路のようなもの。
主に雨水を流すのに使っていたという。

この写真は明治時代のもので、割下水は昭和4年に埋め立てられている。

江戸末期の地図

これは幕末の1850年代の地図だが、真ん中に割下水があるのがわかる。

ただ、この付近は武家屋敷ばかりで、農民の子として生まれた北斎が、一体どこで生まれたのか、この地図からは読み取れない。

生誕地の説明板が建てられているのは、ちょうど「小出」と書かれたところになるが、庶民の住む地ではなさそうだ。

ウィキペディアにも、

「正確な根拠は不明ながら、生地とされる割下水の南部に位置することを基として「北斎生誕の地」を謳う碑が建っている」と書かれている。

この付近には、北斎美術館が平成27年の予定で建設されることになっているが、
その際には、そのあたりの正確な説明を知りたいものだ。

江川英龍

北斎通りの近くには、歴史上に名を遺す人たち所縁の碑も幾つか立っている。

亀沢1丁目の区立緑町公園のわきには、台場を作った男「江川太郎左衛門英龍(5月23日のブログで紹介)終焉の地」の碑が建っている。

説明文には、「この付近にあった役宅にジョン万次郎を召し抱え、英語や航海術の塾を開かせた」などと書いてあった。

ジョン万次郎は、土佐の人。
14歳のとき漁に出て嵐に会い、鳥島に漂着していたところをアメリカの捕鯨船に救助され、アメリカで英語、数学、航海術などを学ぶ。

24歳で鎖国の日本に帰るが、アメリカの知識を持ち英語を話せることから、幕府に通訳などとして重用された他、西洋の知識を吸収しようとしていた志士や知識人たちに多大の影響を与えた人物だ。

こんなエピソードにも、江川英龍という人物の進取の気性が窺える。

黙阿弥終焉の地

河竹黙阿弥(文化13・1816年~明治26・1893年)は、江戸から明治にかけての有名な歌舞伎作者。

正式な外題ではなく通称でその作品を紹介すると、弁天小僧、三人吉三、白浪五人男、切られお富、鼠小僧、髪結い新三など350余にも上る。

明治の文豪坪内逍遥が「我が国の沙翁(シェークスピア)」と絶賛した人物だ。

明治20年(1887)にこの地に移り、明治26年に亡くなるまで、ここで過ごしている。

圓朝旧居跡

黙阿弥の碑と、道路を挟んで反対側に立っているのが「初代三遊亭圓朝 住居跡」だ。

三遊亭圓朝(天保10・1839年~明治33・1900)は、人情話の名人として伝説的な落語家。

「塩原太助一代記」「怪談牡丹灯籠」などたくさんの名作を遺している。

明治9年、日本橋浜町から移り、明治20年新宿に移るまでの11年間をここで過ごした。

野見宿禰神社

北斎通りの向こう側に見えているのは「野見宿禰神社」。

説明板には
「かつて、この神社の東側には相撲の高砂部屋があり、明治18年に、相撲の神様といわれる野見宿禰を祀ったのがこの神社のはじまりです」

神社

「石垣の石柱には、力士や相撲関係者の名前が刻まれており、本場所前には必ず相撲協会の神事が行われます。
境内には昭和27年に相撲協会によって建てられた歴代横綱碑があり、その一基には初代の明石志賀之助から46代横綱朝潮太郎まで、もう一基には47台柏戸剛以降の名前が刻まれています」と書かれている。

というように、この通りの周辺は、数多くの文化遺産の集積がある。

今のところ、北斎通りの展示内容は北斎の絵だけだが、
北斎美術館の開館時には、こうした人物の事蹟の紹介も含めて、厚みのある文化情報を発信してほしい。

そうすれば、この通りはもっともっと魅力的なものになるに違いない。
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め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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