「下町の夏まつり」二つ~山王祭と鳥越祭


京橋~日本橋

6月10日(日曜日)。

午前中、お台場海浜公園で荏原神社の「御神面海中渡御」を見た後、日本橋に向かった。
日枝神社の祭りである山王祭の「下町連合渡御」を見物するためだ。

京橋、日本橋、茅場町、八丁堀の各町内の神輿12基が、京橋から日本橋までの間を練り歩くのだ。

高島屋

高島屋の店員も、おそろいの半纏を着て神輿渡御を迎えていた。

この通りは銀座通りから続く中央通り、いわば日本を代表する目抜き通りだ。

若い娘

担ぎ手の中には、若い女性も目立つ。

渡御するコースがコースだけに、神輿の渡御というよりパレードのようだ。

絵巻物を見るようできれいだが、生活感はあまり感じられない。

日本橋折り返し

神輿渡御は、日本橋を折り返して終了となる。

信号で止まりながら、やっくりゆっくり、整然と「下町連合渡御」は進んでいった。

魚河岸発祥の碑

日本橋のたもとには「日本橋魚市場発祥の地」と書いた碑があった。

説明板には
「日本橋川沿いに魚河岸があり、一日に千両の取引があるとも言われ、江戸で最も活気のある場所の一つでした。
この魚河岸は、大正12年(1923)の関東大震災に現在の築地に移り、東京都中央卸売市場へと発展しました」と書いてあった。

つまり、江戸から大正時代にかけて、ここは今の築地のような雰囲気があったということなのだろう。

昔の写真

説明板には、関東大震災前の付近の様子を写した写真もついていた。

現在の日本橋周辺は、昔とはずいぶん違う印象だ。

今は、ビルが立ち並ぶファッショナブルな街として、下町のイメージも薄れている。

祭りも、それに対応した雰囲気が感じられる。

日本橋川を通る観光遊覧船

昔は漁船などで賑わった日本橋川だが、今は観光遊覧船以外の船を見ることは殆んどない。

日本橋と神輿の下を、通り過ぎて行った。

鳥越神社

日本橋を後にして向かったのは、台東区の鳥越神社。

ここでも例大祭が行われていたのだ。

鳥越神社は浅草の南部の18ヶ町の鎮守様。

神田明神と浅草三社に挟まれる地域を氏子地域としている。

子供のころから祭りに参加

子供たちも、祭り衣装を身にまとい、おとなに交じって祭りを楽しんでいるようだ。

通りにはどこも若い衆が

どの通りも、祭りの格好をした人たちでいっぱいだ。

祭りが、町を挙げての行事になっている様子がよくわかる。

ダボシャツもカッコいい

こんなダボシャツ姿もかっこいい。

路地でスイカ割り

スイカ割をやっていた。

昔は海水浴場での定番だったが、最近は全く見ることがなかった。

観客からの声援も交じって、大いに盛り上がっていた。

後姿がいい

夕方になった。祭りはこれからがクライマックスだ。

鳥越神社の祭りは夜祭としても有名とのこと。

いよいよ都内随一の大きさの「千貫みこし」が各町内を渡御し、その後、宮入りとなるのだ。

千貫神輿

千貫みこしの周りは担ぎ手と観衆で埋まり、神輿の屋根以外は全く見えない。

人の波の中を、千貫みこしは、時折揺れながらゆっくりと進んでいった。

夜祭を前に

近くの路地では、クライマックスを前に酔いつぶれてしまった若衆の姿もあった。

鳥越祭りは、これぞ下町の祭りという雰囲気と生活感があった。

祭りはこの後、夜8時過ぎから、神輿のまわりに提灯をつけ、高張り提灯に囲まれ宮入をするのだが、私は、ここで引き揚げてきた。

神輿のまわりの観衆の多さに見るのをあきらめたのだった。

しかし、帰ってから調べてみると「夜の宮入り」は一見の価値ありとか。

残念だったが、「楽しみは来年までとっておく」ことにしよう。
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プロフィール

め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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