隅田川の夜景~永代橋から下流の橋



隅田川沿いの夜景の紹介、前回は新大橋や清洲橋など大川端の橋を中心にご紹介した。

今回はその2回目、永代橋から下流をご案内したい。

永代橋

江東区と中央区を結ぶ永代橋。向こう岸が江東区。
画面右側が隅田川の下流になる。

永代橋の架橋は元禄11年(1698)、5代綱吉の50歳を祝して架けられている。

元禄15年(1702)、赤穂浪士たちは、討ち入りのあと永代橋を渡って泉岳寺に向かった。

が、当時の橋は現在より100mほど上流にかけられていたという。

現在の橋は、関東大震災で焼け落ちた橋のあとに作られたもので、

2007年に、同じ隅田川に架かる勝鬨橋、清洲橋と共に、国の重要文化財に指定されている。

手前に見える川沿いの道を下流に向かって走る。

石川島を見る

川沿いに走ると、左手に見えてくるのは石川島。

鬼平犯科帳の長谷川平蔵が、幕府に犯罪者や無宿者の授産施設である人足寄場の設置を申し出た所だ。

幕末には水戸藩の造船所が作られ、その後、石川島播磨造船所となって、

現在は、高層マンション群が立ち並んでいる。

左側の川面に見える光は、相生橋のライトだ。

中央大橋

更に暫く行くと、見えてくるのが、中央大橋。

竣工は1993年(平成5)で、隅田川に架かる橋としては2006年(平成18)の千住汐入大橋に次いで新しい。

隅田川は、フランス・セーヌ川と友好河川の提携をしており、架橋の際にフランスのデザイン会社に設計を依頼したとのこと。

メッセンジャー

上流側の中央橋脚部分には、当時のパリ市長のジャック・シラクから送られた、オシップ・ザッキン作「メッセンジャー」と題する彫像が据えられている。

石川島燈台

更に下流に向かって走ると、対岸に「石川島燈台」が見えてくる。

江戸時代、人足寄場奉行・清水純畸が、隅田河口や品川沖を航行する船舶のため、寄場の南端に常夜灯を築かせたが、これはそれを模して作ったもの。

中は、公衆トイレになっている。

佃大橋

次に見えてくるのは、佃大橋。ライトアップはされていない。

320年間続いた「佃の渡し」の場所にかけられていて、竣工は1964年8月27日。
東京オリンピックの直前だ。

東京マラソンでは、35キロ地点の手前に当たり、後半の頑張りどころ。
ここまでくれば、ゴールのメドも見えてくる。

勝鬨橋

隅田川に架かる最も下流の橋・勝鬨橋。

日露戦争の戦勝を祝って開設された「勝鬨の渡し」の場所に設置された。

橋の中央部が開く可動橋で、竣工は1940年(昭和15)。

戦後、輸送手段が海運から陸運に変わる中で、橋の開閉は1970年11月で停止された。

これは。東京港の竹芝桟橋から撮影したもの。

レインボー

竹芝桟橋から右手・東京港のほうを見ると、レインボーブリッジが見える。

夜、竹芝桟橋から、写真を撮っていると、同じようにカメラを構えている人たちに出会った。

ここに夜景を撮りにやってくる人が、ずいぶんいるようだ。

スカイツリー

勝鬨橋の左にスカイツリーも見えた。

私のカメラではこれが限度。

一眼のいいカメラだと、もっときれいに映るはずだし、肉眼で見たらもっと美しい。

夏の暑い夜、涼風が恋しくなったら、是非お出かけください。



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プロフィール

め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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