浜崎橋~首都高・渋滞名所


浜崎橋から

この写真は、新宿御苑を源流の一つに持つ古川が、東京港に流れ出る河口を撮ったもの。

撮影場所は、海岸通りにかかる浜崎橋の上だ。

古川は、新宿御苑から渋谷の東急デパートの下を経て、渋谷橋、天現寺橋、麻布十番、赤羽橋、金杉橋などを流れ、最後にここ浜崎橋から東京港に流れ出ている。

河口の上に見える構造物は、首都高速道路。
いつも渋滞している場所としてドライバーには有名な場所だ。

写真の左は羽田方面、右は汐留・銀座方面。

ここは両方向からの車が合流する場所になっている。

地図

地図で確認してみよう。

写真は、浜崎橋の上から金杉橋の方向を見ている。
実は、この浜崎橋の付近は、首都高速道路を作るときに、最も早く工事が行われたところだ。

首都高で最初に開通したのは、京橋と芝浦間の4.5キロ。
開通したのは昭和37年12月だから、東京オリンピックの2年近く前のことになる。

昭和37年の河口

この写真は、昭和37年に浜崎橋から金杉橋の方向を撮影したもの。
写真を撮っているすぐ後ろでは、首都高で最初に開通した部分の建設が行われていたことになる。

河口から陸側を写す

古川が東京港に流れ出ているところから、現在の古川の河口を写してみた。
左が東芝、右は東京ガスのビルだ。

50年前とは、まったく風景が違っている。

何故、ここ浜崎橋が首都高の渋滞名所になったのか、自分なりに考えてみた。

首都高、浜崎橋付近

自分なりの結論は、そこが「古川の河口であったから」ということになった。
それは一体どういうことなのか。

当時、高速道路を手早く、そして安く作ることが出来るのは川の上が一番であったという事情がある。

というよりも、東京オリンピックに間に合わせるためには、それ以外の方法はなかっただろう。

そして、古川の上にも高速道路が作られた。

羽田方面から来た車も、汐留・銀座方面から来た車も、内陸の方に向かうには、ここ浜崎橋から古川の上に作られた道路を通るしかないのだ。

とはいえ、この場所に首都高が作られたからといって、それだけで渋滞が起きるとは云えない。

原因はなんだろうか。

古川、将監橋

ここは、金杉橋より一つ上流にかかる橋である将監橋。

渋滞の原因として、一つ考えられることがある。

この古川の川幅の狭さを見てほしい。

浜崎橋での渋滞は、羽田方向からの2車線と、汐留・銀座方向からの2車線の合計4車線の道路が、この浜崎橋の上で2車線の道路として合流することから起きている。

合流地点から暫くの間、4車線を確保することができれば、現在のような渋滞はないのにと思うが、古川の川幅で、それだけの車線をとるのは不可能だ。


首都高速を建設した当時、
都心の小河川の上に高速道路を作るのには、様々な苦労があっただろうとは思う。

私は、素人だから専門的なことはわからない。が、しかし、

「もう少し何とかならなかったか」、「設計上、もっと工夫の余地はなかったのだろうか」と、ここを通る度に思う。

私を含め、首都高を利用するドライバーの多くが、そう考えているのに違いない。
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め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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