銀座に残る2軒の銭湯


日本を代表する繁華街・銀座には、ピークの昭和40年代には6軒の銭湯があったが、現在2軒が残っているだけだ。

とは云うものの、天下の銀座に2軒の銭湯がいまだに残っているというのも意外なことではある。

そのうちの一つは、去年8月7日付のブログで紹介した、この「銀座湯」。

銀座湯

銀座湯があるところは銀座1丁目、銀座の北の端にあたる。
実は、ここは個人営業ではなく区営の銭湯だ。

金春湯

そして、残る1つは、銀座8丁目とこれも銀座の端にある「金春湯(こんぱるゆ)」だ。

こちらは、個人経営で、
金春湯のホームページによると、開業は江戸末期の文久3年(1863)にさかのぼるという老舗だ。

その名前は、この界隈に幕府直属の能役者(金春太夫)の屋敷があったことに由来するという。

金春湯2

こちらの営業時間は14-22時の8時間。

この付近は、クラブやスナック、飲食店の多いところ。

「前は、周りに住む人が入りに来て頂けましたが、現在は銀座に住む人が少なくなり主に周りの飲食店の方々が、店の開店前、閉店後にさっぱりするためにいらっしゃいます。
よって金春湯の込む時間は、だいたい開店後の日中です。夜6時ごろからは比較的すいております」と書いてあった。

たてもの園の子宝湯

これは小金井市にある「江戸東京たてもの園」に保存されている「子宝湯」。
足立区千住元町で営業していた銭湯で、昭和4年の建築。内部は昭和30年代の様子を再現している。

全国的に銭湯が減少する中、地域住民の利用の確保を図るため、「公衆浴場の確保のための特別措置に関する法律」ができていて、国や自治体が必要な措置をとることを定めている。

東京都全体では、銭湯の数は昭和40年代の3分の1以下に減ってしまったとのことだ。

区営の銭湯があるのも、それに基づいているわけだ。

港区ふれあいの湯

中央区の隣・港区にも区営の銭湯がある。

芝2丁目の将監橋のたもとにある「港区ふれあいの湯」だ。

JAFの隣

JAF(日本自動車連盟)の建物の隣に建つビルが「港区ふれあいの湯」だ。

1階がフロントと下駄箱、2階が女湯、3階が男湯、4階が休憩室になっている。

子宝湯と比べると、脱衣場、洗い場、浴槽、ともにだいぶ狭い。

番台

これは、上野・不忍池のほとりにある「下町民俗資料館」にある銭湯の番台。
一度、あそこに座ってみたかったと云う人が多かったはず。
こうして、番台に座り、記念写真を撮っていた。

自分たちが子供の頃、昭和20-30年代には、家に風呂がある家は数少なかった。

近くの子供が連れだって銭湯に行くのも、遊びの一つだった。
浴槽で泳いだり、潜水をしたり、熱い湯をぬるくして頑固おやじにおこられたりしたことを思い出す。

プロレスのポスター

これは「子宝湯」に貼られていた、力道山とブラッシーの試合のポスター。

試合では、ブラッシーの噛みつきで力道山は激しく出血。

テレビを見た人の中には、ショックで亡くなる人もあった。
昭和37年のことだった。

あの頃は、夜は、「しまい湯」まで多くの人で混んでいた。

金春湯の湯船

これは、金春湯のホームページに乗っていた金春湯の浴槽。

今、皇居周辺では、仕事を終えてジョギングをする人が増え、、それに伴って着替えたり汗を流すために利用する銭湯が人気となっている。

銀座から皇居はごく近い。

仕事を終えた後ジョギングして風呂に入って帰るという銀座のサラリーマンが増えれば、銀座の銭湯にお客さんが戻ってくるのだが。

さて、これからも銀座や都心の銭湯は残ってゆくのだろうか、どうだろうか。
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プロフィール

め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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