祭りのシーズンの幕開け~烏森神社

祭りシーズンの幕開けを告げる烏森神社の例大祭が、5月4~6日の日程で開かれた。
神輿を担ぐ威勢の良い掛け声が、新橋駅の周辺に響き渡った。
神輿は「千貫神輿」と呼ばれる大神輿だ。

蕨手と呼ばれる部分に乗っているのは、神社ゆかりの烏だ。
神社の縁起によると、「今から約1000年前の平安時代・天慶3年、平将門が東国で反乱を起こした時、征討将軍・藤原秀郷が当社に戦勝を祈願したとも、この時勧請したとも伝えられる。
江戸時代には、稲荷信仰により祭礼は2月初午の日に執行せられ、稲荷祭りとしての賑わいは、江戸で一二を争うものであった。
明治以降は5月4.5.6日を祭り日とし、夏祭りのはしりとしてその名をうたわれている」
と書いてある。
烏の由来については、ウィキペディアには「藤原秀郷が乱を鎮めた後、夢で神鳥が群がる場所が霊地と告げられ、、その場所に神社を創建したことに由来する」と説明されている。

烏森神社は、大通りに面しているわけでもなく、広い境内を有するわけでもないため、所在が分かりにくい。
裏通りに、静かに目立たず鎮座している。

これは、江戸時代、烏森神社の初午の賑わいの様子を描いたもの。
国立博物館の展示の中にあった。
昔から庶民の信仰を集めていた神社だったことがうかがえる。

狭く短い参道に沿って、小さなお店が並んでいる。
先日「関口宏の昭和青春グラフィティ」という番組を見ていたら、ゲイの世界で名を売った「青江」のママが、かつてこの地で店を開いていたのだと、カルーセル麻紀が話していた。

5月5日、新橋駅周辺は、神輿を担ぐ男たちの姿が多く見られた。
烏森神社の鉢巻をした若衆に交じって、ほかの地区の半纏をまとった者も多い。
ここの祭りでは、神社の氏子でなくても神輿を担ぐことはできるが、宮出し・宮入りなどでは「氏子優先」のルールになっているそうだ。

男の子も女の子も、祭りの衣装に身を包み、何とも格好がいい。
自分たちの子供の頃は戦後間もない時期で、こんなかわいい格好をさせてもらうだけの余裕もなかったことを思い出す。

あの頃は、こうして鼻に一本白い線を引くのが、精いっぱいの「おめかし」だった。
今の子供たちに比べて、何とも野暮ったいこと。
5月11日からは、台東区の下谷神社、18日からは浅草の三社祭りが始まる。
いよいよ、本格的な祭りの季節だ。
(なお、烏森神社を勧請したのが藤原秀郷なら、討たれた平将門を祭神の一人として祀るのは神田明神。
今年の神田祭は陰祭りの年に当たっているということだ)
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