堂々たる墓~その① 賀茂真淵


今回は、これまで私が訪ねた墓所の中から、まことに堂々とした墓をご紹介したい。

東海山墓地

その墓は、以前ご紹介した沢庵和尚の寺・東海寺の墓所にある。

東海寺の墓所は品川区北品川3丁目のJR東海道線と新幹線の線路に囲まれた広い敷地にあり、歴史に名を残す人の墓がいくつも建っている。

賀茂真淵墓

これが、今回紹介したい「賀茂真淵」の墓。
丸い巨石を積み上げて作ってある。

その大きさと、現代美術のモニュメントにも通じる造形のユニークさに圧倒される。
国の指定史跡だ。

肖像

賀茂真淵という人は、どんな人なのか。
「賀茂真淵記念館」のサイトでは、こんなふうに説明している。

「真淵は『万葉集』を研究し、"国学"を樹立しました。
"国学"は、江戸時代"漢学"に対して起こった新しい学問で、『古事記』『日本書紀』『万葉集』などわが国の古典を研究して、古代の思想・文化を明らかにし、そこに生き方のより所を求めようとした学問です。
契沖(けいちゅう)・荷田春満(真淵の師)が創始し、真淵が樹立し、本居宣長(もとおりのりなが)が大成し、平田篤胤(あつたね)が発展させました。

真淵は、特に『万葉集』の研究に心をくだき、その研究は、『万葉集遠江歌考』『万葉解』『万葉考』にまとめられています」

真淵にはたくさんの門人があったが、本居宣長はその一人だ。

真淵が66歳の時(亡くなる6年前)に伊勢神宮に出かけた折、若き本居宣長が伊勢松坂の宿に真淵を訪ね、一夜の教えを受けたことは「松坂の一夜」として知られる有名なエピソードだという。

宣長はのちに真淵に入門し、以後文通で、真淵が亡くなるまで教えのやり取りが続いたということだ。

県居の址

中央区日本橋浜町のビルの壁につけられた文化財表示板が、写真の左の方に見える。

この付近に、賀茂真淵の旧居があったことを示すものだ。

説明

「賀茂真淵県居(あがたい)の跡」と記されている。

「県居」とは賀茂真淵の家号で、真淵の弟子は「県門」とよぶのだという。

本居宣長は、「玉勝間」の中で「師の説になづまざること」と題して、師・真淵に触れてこんなことを語っている。

「私が古い時代の書物を説明するのに、先生(である賀茂真淵)の学説と違っていることが多く、それは先生の学説の間違っているところがあるのを、私が判断して論ずることが多くあるのだが、それを弟子としてあまりあってはならないことだと思う人が多いようだが、これが、とりもなおさず私の先生の精神であり、必ずしも師である自分の学説と違っているからといって遠慮してはいけない、とお教えになったのであった。このことは、とても尊い教えであって、私の先生がたいへん優れていらっしゃる点の一つなのだ。
 だいたい、古い時代のことについて考えることは、決して一人や二人の学者の力で、すべて明らかに研究し尽くすことができるわけではない。また、すぐれた学者の学説であるからといって、多くの学説の中には誤りがないなどということがあろうか・・・」

二人の人柄の一端を彷彿させるエピソードといえるだろう。

全景

賀茂真淵の墓の全景。

鳥居の奥に、丸い巨石が存在感を持って見えている。

丸い巨石が、私には真淵のテーマである「和」の心に通じるような気がした。

スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
スポンサードリンク
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR