宿場町・新宿の記憶


「この日は、新宿花園公園の近くまで走って行った」とワードで打ったら、予定通り「新宿は謎の公園」と変換してくれた。

2008年の「ワープロ年間変漢賞」に選ばれたものの一つだ。

パソコンはまだ購入して1年余りしか経っていないので、相変わらず誤変換するのは、ワードの改善が進んていないということかもしれない。

因みに、その年の他の入賞作品には、

「馬食い家内が象サイズになった」というのがあった。
「うまくいかない画像サイズになった」と、書きたかったものだ。

「何か父さん臭い時がある」は
「何かと胡散臭い時がある」の誤変換だった。

加齢臭に悩まされる身には、ドキッとする。

枕はこの辺にして、本題に移ろう。

成覚寺

靖国通りの新宿1丁目付近を走っていると、きれいな桜が目に留まったので、お寺に入ってみた。

この付近は、江戸時代に「内藤新宿」という宿場町があった所で、この寺の名前は「成覚寺」。
「投げ込み寺」として知られる寺だった。

地図

この付近は、お江戸日本橋から2里弱の距離。
江戸時代に甲州街道の一番目の宿場町が作られ、内藤新宿と呼ばれた。

現在の「新宿」という地名は、この「内藤新宿」に由来する。

内藤新宿

広重の描いた「名所江戸百景」のうちの「内藤新宿」。

現在の新宿1丁目から3丁目付近一帯が宿場で、東海道の品川、中山道の板橋、日光街道の千住と並んで「江戸四宿」と呼ばれて賑わったという。

子供合埋碑

これは境内にある「子供合埋碑」。

子供とは、飯盛り女、茶屋女のことだ。

宿場に遊女を置くことは認められていなかったが、客に給仕をするという名目で、飯盛り女、茶屋女としておかれていのだという。

説明

こうした女性たちは、実質上の人身売買で、年期中に死ぬと、投げ込むようにして葬られたという。

この碑は江戸時代のものだから、こうした歴史を遠い過去のものと思っている人もいるかもしれない。
しかし私が若いころ、過去に妓楼を経営していた人に、人身売買の話を聞いたことがある。

それは昭和の初期、東北を中心に「昭和東北大飢饉」と呼ばれる冷害があったが、その時に東北の山村を回って生活に苦しむ家の娘を、いわば買いに行ったと話していた。

それほど遠くない昭和の時代まで、「人身売買」は残っていたのだ。

旭地蔵 像

この寺には、江戸中期に活躍した戯作者の恋川春町の墓もあるが、もう一つ私の関心を引いたのは、この旭地蔵だ。

1800年代の初め、宿場内で不慮の死を遂げた18人の戒名が、下部の石に彫られている。

戒名

正面に彫られているのは、男女の戒名の間に一つの日付。
同じ日に亡くなったのだろう。

「7組の男女は心中した遊女と客であると思われる」とある。

日付は文化6年と読めるが西暦では1809年、今から200年前の出来事だ。

旭地蔵

「宿場町新宿が生み出した悲しい男女の結末と、新宿発展の一面を物語る貴重な歴史資料である」と説明には書いてあった。



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め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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