大久保彦左衛門と一心太助

神田駿河台

靖国通りを神田駿河台下からお茶の水の方に坂を上ってゆく。

すると、明治大学と道路を挟んで反対側の病院の敷地に、「大久保彦左衛門屋敷跡」の碑がある。

駿河台という地名の由来は、徳川家康が隠居した駿府城の駿河と関係があることは、11月6日のブログ『「阿久悠記念館」へ』でも紹介したが繰り返す。

家康が将軍職を秀忠に譲り駿府に隠居した時、譜代の家臣も家康に従った。
そして家康の死後、幕府はそうした家臣をこの付近の地に住まわせたことが、「駿河台」という地名の由来なのだという。

立行寺

大久保彦左衛門(1560-1639)の墓は、港区白金2丁目の立行寺(りゅうぎょうじ)にある。

大久保彦左衛門によって建てられた法華宗の寺で、別名「大久保寺」ともいう。

彦左衛門墓

境内に立派なお墓がある。
これが大久保彦左衛門の墓だ。

太助墓

そして、すぐ近くには一心太助の墓もある。

ここまでは、私たちが子供のころから知っている話の通りだ。

しかし、調べていくと、大久保彦左衛門の実像は私たちが知っているものとは随分違うようだし、一心太助は架空の人物のようだ。

たらいで登城

大久保彦左衛門といえば、天下のご意見番。
仕えた徳川の3代に亘る将軍にも遠慮なく物を申したというイメージだ。

この絵は、「旗本以下は駕籠による登城を禁止された際に、たらいに乗って登城した」とされるエピソードを描いたもの。

「年寄りや病人など足の不自由な者もいるのに、それを禁止とは言語道断」と大たらいで登城し、それを見とがめた役人に「たらいは駕篭にあらず」と話したというお話なのだが、これは講談や歌舞伎など後世の作り話であるらしい。

それでは「大久保彦左衛門と一心太助」の実像は、一体どうなのだろう。

大久保彦左衛門

ウィキペディアによれば、

「大久保彦左衛門は、戦国時代の1560年、徳川家臣・大久保忠員の8男として生まれた。
兄・忠世の元で各地を転戦。1600年の関ヶ原の戦いでも家康本陣で槍奉行を務めるなど活躍。
家康死後も秀忠の上洛に従い、3代家光の代には旗奉行となっている。

寛永12年(1635年)ごろから常陸国鹿嶋に300石ほどの地を移し、余生を送りながら『三河物語』の執筆に没頭したようである。寛永16年(1639年)に80歳で没した。死の間際に家光から5000石の加増を打診されたが、「余命幾ばくもない自分には有り難いが不要」と固辞したと伝えられている」と書かれている。

その『三河物語』は、どれだけ徳川家のために大久保家が忠勤を励んできたかを記したもの。

平和な時代にあって官僚タイプの人物が幅を利かせ、出世に恵まれないことを面白く思わなかった大久保彦左衛門のような武功派の武士たちに支持されということだ。

こうした背景があって、大久保彦左衛門は講談などで取り上げられ、様々なエピソードが創作されたのだろう。

家康が臨終のとき
「彦左衛門のわがまま無礼を許す。今後将軍に心得違いがあるときは、彦左衛門に意見させよ」との遺言を残したという。いわゆる「天下のご意見番」のエピソードだ。

しかし、これについても、そのような記録はないという。

一心太助の墓

そして、もう一人の主人公の「一心太助」。

ウィキペディアには
「三代将軍家光の頃に、旗本大久保彦左衛門のもとで活躍したと伝えられる漁商。腕に「一心如鏡、一心白道」の入墨があったことに、その名は由来する。大久保政談の中で語られた、穀商松前屋五郎兵衛の冤罪を大久保彦左衛門と晴らした話は、後に歌舞伎や講談で人気を博した。ただし、この頃大名に出入りできる魚屋はおらず、架空の人物とも言われる」とある。

残念ながら、実在の人物ではないようだ。

そして、更に
「講談や講釈で知られるようになった『大久保彦左衛門と一心太助の物語』は、鶴屋南北の弟子・河竹黙阿弥が歌舞伎芝居に脚色してからである」と書かれている。

あしたのジョー

現代でも、同じような話があることに気が付いた。

台東区のいわゆる「山谷地区」の商店街にこんな垂れ幕が懸かっている。
梶原一騎原作の漫画「あしたのジョー」だ。

近くの泪橋にボクシングジムがあったという設定のため、「あしたのジョーのふるさと」として商店街をPRしているのだ。

更に思い出すのはこんな出来事。
ジョーのライバル・力石徹の告別式が行われたのだ。

「1970年3月24日、力石徹選手(バンタム級)の告別式が特設リングの設けられた講談社講堂で執り行われた(喪主は寺山修司)。
追悼のテンカウントと読経の後は、追善試合やミュージカルまで上演された。全国から集まった弔問客は800人を超えたという」

こうしてみると、実在しない人物の墓があるのは、特段珍しいことではなさそうだ。

と同時に、江戸時代の歌舞伎や講談、そして現代では小説や漫画の影響力が大きいことに気付く。

私たちが心の中に持っている歴史上の人間の人物像は、作家たちによって作り上げられたものがかなり多いに違いない。

今回、大久保彦左衛門の実像を探っていく中で、そんなことを学んだ。






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め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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