ゼームス坂とその周辺~品川区


品川区にゼームス坂という坂がある。

カタカナ名、しかも個人の名前の付いた坂は、全国にもあまりないようだ。
坂とその周辺を走り、写真を撮ってきた。

地図

京浜急行新馬場駅から第一京浜を超えてJR大井町へ向かう道の途中にゼームス坂はある。

坂の写真、下から


坂の長さは400m、最大勾配は3.5パーセントとそれほど急ではない。

坂の説明

坂の途中に説明が経っていて、元は急な坂であったと書いてある。

品川区のホームページには、この坂について
「明治時代、この坂下に住んでいたJ.M.ジェームスという英国人が私財を投じて緩やかな坂に改修、それ以来ゼームス坂と呼ばれるようになった」と書いてある。

更にJ.M.ジェームス(1839-1908)という人物については

「幕末の1863年に、ジャーデン・マディソン商会の社員として来日。明治5年に海軍省に入り、測量調査や航海術の指導を行った」と紹介している。

ゼームス坂マンション

坂の途中、坂下から行くと右側に「ゼームス坂マンション」が建っているが、そこがJ.M.ジェームスが住んでいた場所だ。

生涯を日本で暮らし、町の人たちから親しまれた彼は、海軍への貢献もあって勲2等旭日章を受けている。

墓は山梨県身延町の久遠寺にあるという。

文学碑が

ゼームス坂マンションの道を挟んだ向かい側に、こんな文学碑が建っている。

「レモン哀歌の碑」

「智恵子抄」で知られる高村光太郎の妻・智恵子が入院していたゼームス坂病院が、この地にあった。

レモン哀歌

碑には「レモン哀歌」が彫りこまれている。

昭和13年、智恵子がゼームス坂病院で亡くなった時の情景が表現されている。


レモン哀歌
          高村光太郎

そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白いあかるい死の床で
私の手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まつた
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう


                           「智恵子抄」より

途中、交番でこの碑の場所を訪ねたら、慣れた調子で教えてくれた。
どうやら、訪ねる人は多いようだった。



来福寺

次に向かったのは、東大井3丁目にある990年創建の古刹・来福寺。

ここにある「句碑」を見たかったのだ。

句碑

字が読みにくくなっているが、江戸時代の俳人・大島蓼太(号は雪中庵 1718-1787)の句が彫ってある。

「世の中は三日見ぬ間の桜かな」

桜は、あっという間に咲き、あっという間に散ってしまうことから、世の中の変わりようの速さを例えるときによく引き合いに出される。

八重桜

境内の見事な八重桜、句にまさにぴったりの情景だった。

植樹

そして、境内を見ているとこんなものが。

元総理2人が桜を奉納したプレートだった。

「そうか、今は民主党政権。 世の移り変わりの早いこと、まさに政治の世界も同じだな」と感じた次第。

政治の世界の変転は、これからも間違いなく続いていくのだろう。
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No title

やっぱりそうだった。
智恵子の入院した病院。

「南品川ゼームス坂病院」、ここで彼女は一心不乱に色紙をちぎっていたのですね。
医師や看護婦が覗こうとすると智恵子は強く拒み、光太郎にしか見せなかったという切り絵。
食事もとらないで一心不乱になって作っていた素朴で美しい切り絵を思い出しました。




プロフィール

め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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