碑を読むのは難しい


両国橋
両国橋。隅田川の中ほどに架かる橋。
江戸時代、武蔵と下総の国境にあったことからこの名がある。
左手・中央区東日本橋のほうが武蔵。右手墨田区・両国側が下総。
今、ここは国道14号線・京葉道路が走る幹線だ。

源吾の碑
墨田区側の橋のたもとで公園の工事をしていたが、先ごろ終了し、昭和3年に建てられた碑が、また戻ってきた。
左側の石碑だが、皆さん読めますか。
私も最初に見たときにはよくわからず、ネットで調べたら
「日の恩や たちまち くだく 厚氷」であることが分かった。
作者は忠臣蔵・四十七士の一人、大高源吾。
俳句の師であった・宝井其角の書状の中に大高源吾の句として記されているという。

其角といえば、忠臣蔵の名場面にこんなのがある。
討ち入りの前日、この橋のたもとでばったり出会った二人がこんな句を詠み交わす。
其角「年の瀬や 川の流れと 人の身は」
源吾「あした待たるる その宝船」

碑に刻まれた句の意味は、「太陽のおかげで厚い氷もすっかり解けました…おかげさまで本懐を遂げることができました」という意味だ。

赤穂浪士が目指した「本所松坂町」の吉良邸は、この碑から左方向、歩いても近い。

看板
両国橋の墨田区側、橋の手前を左に折れたところ(広小路)に、こんな案内板がある。
忠臣蔵の芝居の中には、討ち入り後、この両国橋を渡って泉岳寺に向かったとするものもあるが、実際はもろもろの摩擦を避けるため、この橋は渡らず、永代橋まで下って隅田川を渡ったという。

両国は「江戸と相撲と忠臣蔵」の香りに満ちている街だ。
長くなるのでまた今度紹介することにしよう。
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め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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