今年は明治が終わってから100年



原宿駅で

JR原宿駅のホームから、明治神宮のこんな看板が見えた。

明治天皇と昭憲皇太后の歌が書いてある。

歌もこの時期に相応しいものが紹介されているのだが、
「ああ、そうなのだ」と思ったのは、一番最後に書かれたこの文字だ。

「明治天皇百年祭」

今年は、明治天皇(1852.11.3-1912.7.30)が亡くなり、元号が大正に変わってから丁度100年になる。

つい先日、私の母方の叔父が100歳の誕生日を迎えた。
叔父は明治の最後の年、明治45年の生まれだ。

つまり、明治生まれの人は、今年、全員が100歳以上の年を数えるということになる。

「降る雪や 明治は遠くなりにけり」という有名な句がある。
今年は、その意味では、一つの節目の年といえるだろう。

赤坂・乃木坂

「明治の終わり」ということで思い出すのは乃木希典大将。

港区赤坂の乃木坂は、彼の名前に由来している。

この橋の下が乃木坂で、正面の森が、旧乃木邸と乃木神社だ。

乃木将軍は、日露戦争の際「203高地」の激戦を指揮した将軍として知られている。

ドラマ「坂の上の雲」でご覧になった方も多いだろう。

この戦闘の中で、彼の二人の息子は戦死している。

旧乃木邸

旧乃木邸は、神社の横に保存されていて、外観などを見学することができる。

表玄関

この家は、フランス軍隊の建物を模範にして明治35年に建てられた。

大正元年9月13日・明治天皇大葬の日に、乃木はこの自邸で静子夫人とともに殉死している。
64歳だった。

殉死

乃木の死は、明治という時代と乃木稀典という個性が結びついた特異なものではあるけれど、彼が日々生きる中で、「死」をいつも意識していたことは間違いないだろう。

辻占売りの少年

これは、庭に立っている銅像「辻占売りの少年と乃木大将」で、こんなエピソードがあるという。

説明

辻占とは辞書に、「吉凶を占う短い文句をしるした紙」と書いてある。

今越少年は、父の死後、辻占を売って幼い弟、妹、祖母の暮らしを支えていて、当時、この話は教科書、浪曲、講談などで取り上げられ、多くの国民が知る話だったのだという。

今越少年は、その後金箔の仕事につき、昭和41年には滋賀県の無形文化財に指定されたということだ。

そして、それより前の昭和37年には当時の大人気番組「私の秘密」にも出演したということだから、ご覧になった方もいるかもしれない。

乃木の歌

邸内に、乃木のこんな歌碑も建っている。

「武士(もののふ)は 玉も黄金も なにかせむ いのちにかえて 名こそをしけれ」

 ”もののふでありたいと思う自分、命に代えても惜しみたいものは名誉なのだ”というような意味だろうか。

観光バス

乃木邸の前には、「坂の上の雲」ゆかりの地を巡る観光バスが止まっていた。

増上寺

明治時代は、私の両親の生まれた時代。
そして、自分の生まれた時代は昭和。

共にどんどん遠くなってゆく。

増上寺山門の横に書かれた言葉に、思わず頷いてしまう。

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め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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