「アメリカ橋」を渡って写真展へ


アメリカ橋

「東京都写真美術館」に行こうと、恵比寿ガーデンプレイス近くの跨線橋を渡っていたら、「アメリカ橋」と書いた文字が目に入った。

どこかで聞いたことがある。
そう、「歌謡曲のタイトルで耳にした」と思いだした。

橋の下を走るのは、JR山手線。
画面の右手奥は目黒の方向だ。

狩人

狩人が「アメリカ橋」を歌ってヒットさせたのは1979年・昭和54年だった。

山川豊

山川豊が歌ったのはタイトルは同じでも、曲は違う。
1998年・平成10年のヒット曲だった。

いずれも、過ぎた恋の思い出を歌った歌。

そんな内容を歌うのに相応しい、橋の名前とロケーションだったのだろう。

説明

この橋の由来を書いたプレートが、橋のたもとにあった。
正式の名称は「恵比寿南橋」、「アメリカ橋」というのは通称だ。

この説明とウィキペディアとを総合すると

「(アメリカ橋は)もともとはアメリカセントルイスで1904年に開催された万国博覧会に展示されていたものであった。
それを日本の鉄道作業局(当時)が買い取り、鉄製の橋のモデル橋として1906年(明治39年)に現在地に架設した」ことに由来する。
しかし「(当初の)橋は1970年(昭和45年)に改築され」たとのことだが、「渋谷区としては、歌の題材として親しまれているこの橋を今後も大切にしていきたい」としている。

ビール工場

そして、足元を見ると「ビール工場」と書いたプレートがあった。
これはすぐに分かった。

「恵比寿」という地名・駅名が、ここにビール工場があったことに由来することを思い出したのだ。

日本麦酒醸造(現・サッポロホールディングス)が今の恵比寿ガーデンプレイスのところで「ヱビスビール」を製造し始めたの1887年・明治10年。
それに伴ってビール輸送用の駅「恵比寿駅」ができ、地名も「恵比寿」とよばれるようになったのだ。

50年前、通学で恵比寿駅近くを通過する際、山手線の車窓からはビール会社専用のホームが見えたっけ。

その後1988年、郊外への工場移転が進んだことなどに伴い工場は閉鎖、
跡地には再開発によって「恵比寿ガーデンプレイス」が1994年に完成し、現在に至っている。

ビアステーション

ガーデンプレイスにある「ビアステーション」。
ガーデンプレイスの歴史を語る建物でもある。

雲と建物が調和して、いい味を出していた。

次の企画展

さて、いよいよこの日の目的地、「東京都写真美術館」に向かう。

美術館の入り口近くには、間もなく始まる企画展の作品が飾られている。

フェリーチェ・ベアト展

私が見に行ったのは「フェリーチェ・ベアトの東洋」という写真展。

フェリーチェ・ベアトは幕末の1863年から20年以上にわたって横浜に滞在し、当時の生活風俗や街並みなど多くの写真を撮影した写真師。

私のように歴史が好きな者にとって、とても興味ある写真が展示されている。

ポスターの写真は「冬着姿の女性」という題がついている。
白黒の写真に着色したものだ。

普通の古い写真はセピア色で、とても古臭い感じがするのだが、この写真は古臭さを感じさせない。
着色の効果によるのだろう。

この他、駕籠かき、イネのもみすり、「日本のヘラクレス」というタイトルの付いた相撲取りの写真などが記憶に残る。

また有名な、愛宕山から江戸の町並みを写したパノラマ写真も展示されていた。

当時の武家屋敷の見事な木造建築と整然とした街並みが写され、いつまで見ていても興味は尽きなかった。
「よくぞ撮って、今日に残してくれた」と思うばかり。

このほか「有馬藩の上屋敷」「浜御殿」の写真も、地元だけにとても記憶に残る。

改めて、写真の持つ力を知った展覧会だった。


この写真展は5月6日まで開かれている。

毎月第3水曜日は65歳以上は無料なので、年配の方は、どうぞその日にお出かけを。



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プロフィール

め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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