「ああ上野駅」の碑


絆ニッポン

3.11から丸1年。

2012年03月11日の東京タワーのライトアップからご紹介する。

この夜、この文字以外の照明は一切なく、暗い夜空にこの文字だけが浮かんでいた。

「KI ZU NA NIPPON」

上野駅

さて、今日のテーマは上野駅。

昔は「東北の玄関口」と呼ばれ、多くの東北の人たちの「心の拠り所」でもあった。

しかし東北、上越新幹線が東京駅始発になってから、東北の玄関口としての色合いはかなり薄れ、今さらに大きく変わろうとしている。

大規模歩道橋

駅前は、首都高速道路や大規模な歩道橋で、空がだいぶ窮屈に見える。

交差点で足元を見ると、下水口に動物のプレートがはめ込まれていた。
上野といえば、今は「動物園」。
そのほか「美術館」「博物館」など文化施設が集中する地域というイメージが強い。

「ああ上野駅」の碑

でも、私にとっての「上野」といえば、やはり「あゝ上野駅」だ。

駅前に「あゝ上野駅」の碑が建っている。

「あゝ上野駅」は、昭和39年・東京オリンピックの年に井沢八郎が唄って大ヒットし、集団就職で上京した人たちの心の拠り所になった曲だ。

集団就職の写真

昭和30年代から40年代を中心に、高度経済成長の支え手として、東北地方から多くの若者が集団就職列車に乗って東京にやってきた。
降り立った駅は、この上野駅。

ほとんどが東北の農家の次男・三男、それに娘たち。
私より少し年上か、同じくらいの年ごろで、私の周りにもたくさんいた。

人材難の中で「金の卵」と呼ばれたが、暮らしは、決して楽とは言えなかった。

歌詞

働きながら夜間高校に通い、勉強の後、手のひらにマメをいっぱい作ってバドミントンのクラブ活動に取り組む好青年がいたが、今どうしているだろう。

この碑ができたのは2003年。

この曲を歌った井沢八郎(1937-2007)は青森県の弘前出身。
コメを売ったお金を手に、歌手を目指して上京したという。

当時の新聞記事を見ると、東北出身ではないが、当時国民を熱狂させたボクシングのファイティング原田さんが「私も苦しい時はこの歌で勇気づけてもらった。この歌碑を末永く守ってゆきたい」と挨拶をし、井沢八郎がこの歌を歌碑の前で熱唱したと書いてある。

そう、あのファイティング原田の驚異的なラッシュは、どこか東北の人たちの粘り強さと重なるところがあった。

啄木の短歌

上野駅の15番線ホームの手前に、石川啄木の歌碑がある。

「ふるさとの 訛りなつかし 停車場の 人ごみの中に そを聴きにゆく」

上野は集団就職以前、啄木の時代から、東北の人たちの心の駅だった。

電車止め

上野駅の構内には、こうした行き止まりがいくつもある。
列車は、ここから折り返しになる。

ところが現在、宇都宮(東北)、高崎、常磐の3路線と東海道線を直通でつなぐ「東北縦貫線」が、2013年度末の開通を予定して工事が進んでいる。

そうなると、こうした線路の行き止まりはなくなり、東北線などから東海道線への乗り換えもしないで済むようになる。

旅客のスピードアップが実現するが、上野は終着駅ではなくなってしまうことになる。

そういえば、私が社会人になって最初に赴任したのは北海道。

上野駅から特急「はつかり」に乗って任地に向かった思い出は、忘れることはできない。

それ以上に東北の人たちの思い出がたくさん詰まった上野駅。

時代とともに、少しずつ、その姿を変えていこうとしている。

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プロフィール

め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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