東日本大震災~写真展で見たもの


このところ、春の雨が続いている。

雨が降らない日は、「ぐるっとパス」を利用して、精力的に都内の文化施設めぐりだ。

ブリジストン美術館

この日は、JR東京駅の周辺にある施設を尋ねた。
まず、京橋のブリジストン美術館だ。以前「水天宮」の項(1月30日)で紹介した石橋正二郎の作った美術館だ。

今、開かれているのは「パリへ渡った『石橋コレクション』1962年、春」という企画展。
開館から10年後の昭和37年にパリで「里帰り展」を開いてから今年で50年、それを記念しての企画展だ。

「里帰り展」では、内容の充実ぶりが地元の美術関係者を驚かせたという。

ピカソ、セザンヌ、ルノワール、マネ、モネ、クールベ、ルソー等々、美術の教科書で見る名品ばかりが並び、さもありなんと感じさせる。

とても、見応えがあった。

相田みつを

次に向かったのは、東京駅近くの「東京フォーラム」の建物。
ここは、以前、東京都庁のあった所。
地下1階に「相田みつを美術館」がある。

ここも、訪ねるのは2回目だ。

「しあわせは いつも 自分のこころが きめる」

独特の書体とシンプルな言葉の中に、自分の「いたらなさ」を教えられる。

ずいぶん沢山の人たちが訪れ、賑わっていた。

片野田斉写真展

その隣の会場で「片野田 斉 写真展『日本!天晴れ』」が開かれていたので拝見する。
東日本大震災の記録写真展だ。

展示の中に、住民の暮らしを津波から守った「岩手県普代村の堤防」の写真があった。

帰ってから、普代村の堤防について調べてみると、様々な新聞に報道されていた。ご存知の方も多いと思う。

ただ私は、田老町の高さ10メートルのスーパー堤防が、津波から町を守ることはできなかったことは知っていたが、普代村の話は初めて知る事実だった。

map[1]水門位置-1

普代村は、岩手県中北部の海沿いの村。

村を津波から救った堤防が作られたいきさつについて、ウィキペデイァにはこう書かれている。

「普代村では、過去の大震災・大津波で多数の被害者を出した苦い経験から、津波から住民を守る防壁設置を検討。
15.5メートルという高さは計画時に高すぎると非難を浴びたが、当時の和村幸得村長(1909-1997)が『2度あることは3度あってはならない』『15メートル以上』と譲らなかった。
明治に15メートルの波が来たという言い伝えが、村長の頭から離れなかったからであるという。
堤防の建設には反発も大きく『(金を)他のことに使えばいい』『ここまでの高さは必要なのか』との異論も出た。しかし、和村は決して譲らず強行した」

防潮堤と水門の高さ15.5メートルは東北一なのだという。

水門

これは、普代水門。

写真展で見た写真は、この水門のすぐ近くにある住宅が、何事もなかったように無傷で立っている写真だった。

普代村では、この普代水門と太田名部防潮堤が住宅地や集落中心部への津波到達を防いだため、震災の人的被害は船の様子を見るため防潮堤の外に出た行方不明者1人のみで、死者はゼロ、被災民家も無かった。

写真展のその写真の下には、こんなコメントがついていた。

「(震災後)元村長の墓参りに、行列ができたという」

和村幸得・元村長は退任の挨拶の際、「村民のためと確信をもって始めた仕事は反対があっても説得をしてやり遂げてください。最後には理解してもらえる。これが私の置き土産です」と語ったのだという。

とてもいい話だと思う。
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め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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