野球黎明期の芝



日本初の野球クラブチーム

「秩父宮スポーツ博物館」で見た日本初の野球クラブチーム「新橋倶楽部」の選手たちの写真。

明治11年とある。

実はこの「新橋倶楽部」とは、当時の鉄道局に勤めていた平岡熙(ひろし)という人物が中心となって結成したクラブ。

平岡熙

写真の二列目、真ん中に移っている平岡は、明治4年(1871)渡米。
ボストンの汽車製造会社などに勤めながら鉄道技術を学んだ。
帰国後、伊藤博文の紹介で工部省鉄道局に入った平岡は、新橋停車場(すてんしょ)に建設された鉄道寮新橋工場などで働くことになる。

そして、工場の仲間や学生たちを集めて日本で初めてのベースボールチーム「新橋アスレチック倶楽部」を作った。

鉄道寮新橋工場

愛知県にある明治村に、鉄道寮新橋工場の建物が残っていた。

新橋-横浜間に汽車が走った明治5年当時、新橋工場の建物の鉄骨は英国製だった。
まだ国産では作れなかったからだ。

英国製

この鉄骨には、リバプールと書いてある。

10年後には国産

ところが、10年後の明治15年には、国産の鉄骨を作り上げている。
西洋の技術を急スピードで吸収し、自分のものにしていったのだろう。

そうした職場の仲間に、アメリカで野球を修得した平岡が野球を教え、野球が普及するきっかけを作ったのだった。

きっと、野球についても、熱心に取り組んだことだろう。

平岡は昭和34年(1959)、読売巨人軍を創設した正力松太郎とともに野球殿堂入り第1号となっている。

昔のグローブ

ユニフォーム姿は現在とそれほど違わないが、野球用具は今よりだいぶ貧しかったようだ。

右側のグローブでボールを受けたら、すぐに手が腫れてしまいそう。

スパイク

これは明治45年発行の雑誌に載ったスパイクの広告。
今のスパイクとそれほど違わない。

当時、三田にスパイクを作る靴屋さんがあったことがわかる。

このことは、慶應義塾が三田にあることと関係があるのかもしれない。

慶応では、ごく初期から野球が行われており、第1回の早慶戦は明治36年に開かれているからだ。

綱町グラウンド

その記念すべき試合が行われたのは、三田にある慶応・綱町グラウンド。

慶応義塾のホームベジには、早慶戦の始まりは、早稲田大学からの挑戦状がその始まりだったとして、次のように載っている。

綱町

「明治36(1903)年11月21日、早慶戦第1回戦が義塾の三田綱町グラウンドで行われた。
この戦いは明治34(1901)年創部の早稲田が、9年早く発足した義塾に『教えを請いたい』と対戦を申し込んだもので、『(早稲田の)選手皆幼稚を免れず候に就ては近日之中御教示にあづかり以て大に学ぶ所あらば素志此上も無之候』との一戦申込みに、義塾も『貴校と当校とは是非共マッチを致す可き者』とただちに応答したことから実現した」

第1回早慶戦

「 約3000人の観衆を集めた試合は、11対9で義塾の勝利。早稲田の選手たちは朝から下駄を鳴らしながら戸塚村(現在の早稲田)を出発、三田までの13キロの道を歩いて来たという。
両校がライバルとなった歴史的第一戦であった」

ウィキペディアによると、「東京六大学リーグ戦における対戦成績(1925年秋~2010年秋)は早稲田207勝、慶應173勝、引分10」とのことで、トータルでは早稲田に若干の分があるようだ。

そして、「芝と野球、三題話」の3つ目は、日本初のプロ野球の話だ。

芝浦球場跡地

港区海岸3丁目の埠頭公園。

写真左の方に案内板が見える。

プレート

説明によると「大正10年、『日本運動協会』(通称、芝浦野球協会)』の本拠地として、この地に芝浦球場が建設された。日本運動協会は、野球で報酬を得る職業野球を日本で初めて試みたチームといわれる。

大正11年には、国内で初のプロ球団同士の試合といわれる『日本運動協会と天勝野球団』の試合が行われた。
大正12年の関東大震災後、芝浦球場は救援物資の集積場として徴発され、日本運動協会は解散した」と書いてあった。

その後の動きを年表で見ると

解散からおよそ10年後の
昭和9年(1934)には「大日本東京野球倶楽部」(東京巨人軍、現在の読売ジャイアンツ)が設立。
昭和10年(1935)に「大阪野球倶楽部」(大阪タイガース、現在の阪神タイガース)が設立。
昭和11年(1936)には「大日本野球連盟名古屋協会」(名古屋軍、現在の中日ドラゴンズ)などが発足。

日本初のプロ野球リーグとして「日本職業野球連盟」が設立され、本格的にプロ球団の歩みがはじまって行く。

因みに、昭和11年には、プロ野球の球団歌としては最も古い「大阪タイガースの歌」が作詞・佐藤惣之助、作曲・古関裕而で作られている。
現在も「六甲おろし」として歌い継がれている名曲だ。

こうして、幾多の歴史を経て今日のプロ野球の隆盛へとつながってきた。

今年は、ダルビッシュが大リーグ・レンジャースへ入団した。

一方では、松井の所属先がまだ決まらない。とても気がかりだ。

平成4年夏の甲子園、松井の星稜高校は高知の明徳義塾と対戦。
その試合で松井は、ランナーがいない時も含め全打席・連続5敬遠という高校球史に残る記録の当事者となった。

私はその試合を、金沢市民としてテレビで応援していたのだ。


そんな中で、大リーグも日本のプロ野球もキャンプが始まった。

今年もいよいよ球春のスタートだ。

今年は、野球の歴史にどんな1ページが書き加えられるのだろうか。

そして
こうして野球が私たちの暮らしの中に完全に定着した今、日本の野球の黎明期に、故郷・芝が様々な歴史の舞台になっていたことを忘れずに記憶しておきたい。

スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
スポンサードリンク
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR