品川神社で「富士登山」

品川神社


品川から第一京浜国道を横浜方向に、新八ツ山橋を越えて暫く進むと、右手に品川神社が見えてくる。

京浜急行の「北品川駅」の近くだ。

由緒を見ると、源頼朝による祭神の勧請が1187年と大変古い歴史を持ち、その後も太田道灌、徳川家康、徳川家光などの手厚い庇護を受けてきたとある。

浅間神社

この神社の急な参道を上りきったところに浅間神社の社があり、その左側に富士塚が作られている。

富士塚は関東各地の神社などに多数あるとされ、私もいくつか見てきたが、ここの富士塚はかなり本格的だ。

説明

富士塚とは、富士信仰の「富士講」の人たちが富士山遥拝の場として、あるいは実際に行けない人たちのために作った築山のこと。

ここでは、毎年7月1日に近い日曜日に「富士塚山開き」を行っていると説明にある。

当日は、講のメンバーが白装束で浅間神社神前で「拝み」を行った後、はだしで富士塚に登るという。

交通機関が発達し、富士山に行きやすくなった今でもこうした行事を行っているところは、大変少ないと書いてある。

登山口

登山道は、参道の急な坂の途中からはじまる。

1合目

鳥居をくぐると、急な登山道が続く。
1合目、2合目の標識も見える。

鎖場も

7合目の手前から勾配がかなり急になり、谷側には安全のため鎖も設置してある。
確かに、高齢者には鎖がないと危険な感じだ。

頂上

とはいっても、頂上へはあっという間に到着する。

眺めはかなり良い。
この塚は大正11年に作られたと書いてあったが、当時はまだ、眼前に品川の海が広々と眺められたことだろう。

富士山方向は、海に向かって右手後方になるが、今では建物が邪魔をして見通すことはできない。

他にも登山者が

道路の反対側に行き写真を撮っていたら、ほかにも「登山」する人がいた。
意外な眺めの良さに驚いている様子でもあった。

板垣墓

品川神社のすぐ裏手には、もう一つ紹介したいものがある。

明治期に活躍した政治家・板垣退助の墓だ。

説明

「板垣死すとも、自由は死せず」の名文句で有名だ。

墓の横にある説明には、板垣の生涯について、こう説明している。

「板垣退助(1837-1919)は土佐の人。
幕末に討幕や戊辰戦争に参加して功績を上げる。
明治7年(1874)には愛国公党を結成し、自由民権運動をおこした。
明治14年(1881)には自由党を結成して総裁となり、近代日本の政党の基礎を築いた。
翌・明治15年(1882)、45歳の時、岐阜遊説中に刺客に襲われた際「板垣死すとも、自由は死せず」と叫んだ言葉は、当時の若者たちを感激させ、湧かせた」

私はてっきり、あの名文句は死の間際に発した言葉だと思っていたのだが、そうではなかった。

説明はまだ続く。
「(板垣は)その後も伊藤内閣や大隈内閣の内相を務め、大正8年(1919)に亡くなった」

この説明で、板垣が82歳という長命であったことを初めて知った。


「暴漢に襲われた際、自由を高らかに叫ぶ人物は悲劇の人に違いない」と、これまで勝手に思い込んできたのだった。

墓の横にある碑の揮毫は、「佐藤栄作」とあった。
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プロフィール

め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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