「鉄道の父の墓」のロケーション~東海寺墓地

前回紹介した北品川の東海寺の墓地に、とても印象的な墓がある。

鉄道記念物

墓のそばには、こんな碑が建っている。

鉄道記念物とは、「旧国鉄が昭和33年に制定。日本の鉄道に関する歴史的文化的に重要な事物等を保存するための制度、並びに事物」ということだ。

一体、井上勝(いのうえまさる)という人は、どんな人物だったのだろう。

井上勝

井上勝(1843-1910)は、日本の「鉄道の父」と呼ばれている。

井上は幕末に長州藩士の3男として生まれ、1863年・20歳の時に藩命で英国に密航する。

伊藤博文、井上馨ら5人の若者が一緒だった。

井上は、ロンドンで鉱山技術、鉄道技術などを学び、1868年に帰国する。

密航の前にどれほど英語を学んだのかはわからないが、少なくとも現在より教師も教材も少なかったはず。
物理、化学などの複雑な原理を自分のものにして帰国するまでには、相当の苦労があったに違いない。

新橋駅錦絵


帰国後、新橋-横浜間(明治5年)、東海道線全線(明治22年)などの開通に、鉄道庁の中心となって力を尽くした。

この錦絵は、当時の新橋ステーションを描いたものだ。

井上はまた、私鉄・日本鉄道会社にも携わり、東京-青森間の開通(明治24年)にも力を揮った。

岩手県にある小岩井農場は、火山灰土の原野を開拓したものだが、
鉄道建設のために多くの田んぼをつぶしてきた償いに、農民に働く場を提供しようと作られたのだという。

作ったのは、日本鉄道会社の幹部・小野義真、岩崎弥之助(岩崎弥太郎の実弟)、それに井上勝。

小岩井とは、3人の名前から1字ずつをとって命名したのだという。

墓所ワイド

井上家の墓所は、広い東海寺の墓地のもっとも端にあった。

「東海道線が右、山手線・新幹線が左」と、二つの線路を望む場所にある。

地図

地図で見てみると、こんな具合だ。
鉄道記念物の碑には、こんな説明が書いてある。

「(井上勝は)日本の鉄道建設に最初から関わり、1871(明治4)年には初代鉄道頭となり、1872(明治5)年、新橋・横浜間の鉄道を完成させた。
その後、鉄道局長、鉄道庁長官を歴任して、東海道線をはじめとする主要路線の建設に努めるなど、生涯を鉄道に捧げた。
外国から導入した鉄道を、日本の鉄道として発展させた功績は多大である。
生前、自らの墓所として東海道本線と山手線(現在は新幹線も並走)に挟まれたこの地を選んだのは、死後も鉄道を見守っていたいという意向からであったと伝えられている」

背中に新幹線

墓石の後ろ側を、新幹線が走り抜けていく。

眼前は東海道線

今度は、前方の東海道線で列車が通過する。

線路を向いて、一本の碑が建っている。

線路際の碑

建っている場所は、線路とを隔てる網フェンスのすぐ前。

そんな場所だから、この碑は、お墓に来た人に見せるものではない。
鉄道の車窓から見えるように置かれているのかもしれないと思った。

あるいは・・・
碑の前面に彫られた「井上勝」という文字が線路を向いている。

「東海道線がよく見えるように」という思いを込めて、あえて線路際に設置したのかもしれない。

同時に列車が通った

両方の線路を同時に、車両が通過してゆく。

ここに暫くいると、何回も見られる光景だ。

鉄道一筋の男にとって、こんな場所はほかにない。
「いい墓だなあ」と思った。

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め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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