こんな狛犬見たことない~高輪


狛犬とは、神社仏閣の境内にある一対の動物像。

狛犬は「古代インドで、仏の両側に守護獣として、ライオンの像を置いたのが起源とされる」とウィキペディアには書いてある。

獅子や犬を模した像をよく見かけるが、今日紹介するのはとってもユニークで、しかも微笑ましい。

高輪消防署

その狛犬を見かけたのは港区高輪2丁目、昔、二本榎と呼んでいた地区だ。

この建物は「高輪消防署二本榎出張所」。
昭和8年に建てられ、「東京都選定歴史的建造物」に指定されている。

この交差点を斜め左方向にしばらく行くと、右手に、目指す狛犬が鎮座している。

これがそれ

これが、その狛犬。
どうです、ちょっと変わっているでしょう。

ここは、承教寺というお寺の入り口。
お寺にちょっと入ってみる。

承教寺

本堂の向かって左側に、説明板が立っているのが、かすかに見える。

英一蝶

本堂の前に、江戸時代の画家・英一蝶(はなぶさ・いっちょう)の墓が建っている。

英一蝶(承応元年・1652-享保9年・1724)は、画家であると同時に書や俳句など様々な文芸に通じた、いわゆる「通人」であったといわれる。

そう言えば、このお墓も普通の墓とは違って、なんとなく粋な感じがしないでもない。

英一蝶は、伊勢亀山藩の侍医を父に持ち、若いころから狩野派風の町絵師として活躍。

俳句もたしなみ、宝井其角や芭蕉とも交友があつたという。

また、吉原遊郭通いを好み、自ら幇間としても活動し、紀伊国屋文左衛門とも交流があったそうだ。

ところが元禄11年(1698)46歳の時、生類憐みの令に対する違反で三宅島に流罪になる。

墓の横にある東京都教育委員会の説明板では、「当世百人一首」や「朝妻舟」という図で将軍綱吉を風刺したためとある。

ウィキぺディアには「『朝妻舟』は、柳沢吉保が、実の娘を綱吉の側室に差し出したことを風刺にした図であるとも言われる」という説明があった。

説明

三宅島での生活は12年。
綱吉の死去と、その後の大赦で江戸にもどったのは57歳の頃。

島で暮らしていた間、年に数度の仕送りが許されていたが、毎度のように絵具を要求し、江戸で贔屓にしてくれている人、島で世話になる島民、そして江戸に残る母親の生活費のために絵を描きつづけていたという。

横から

もう一度、狛犬を見てみよう。
手足を折り曲げ、手足の模様は毛並みだろうか、
渦巻いて、デザインのようだ。

顔

そして、この顔。
どう見ても、動物系には見えない。
人の顔に見えてくる。

通人・英一蝶が眠る寺に相応しいユニークな狛犬だ。
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め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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