有馬の猫塚と綱町三井倶楽部

三田通りから綱の手引き坂へ

右の写真は、三田大通りから東京タワーを見ている。
そして、左側に写る大きなビルの手前に、左に折れる道がある。それが左の写真。

このゆるやかな坂は「綱の手引き坂」という。
平安時代の武将・渡辺綱がこどもの頃・乳母にひかれて歩いたという言い伝えがある坂だ。

この坂を上ってゆくと、わが母校・赤羽小学校と、綱町三井倶楽部がある。

坂の右手は、江戸時代は久留米藩・有馬家の上屋敷があったところ。

済生会中央病院や、都立三田高校も上屋敷の敷地だったところにある。

赤羽小

港区立赤羽小学校。
久しぶりに母校の中に入ってみた。

「有馬の猫塚」を久しぶりに見るためだ。

猫塚

猫塚は、隣の三田高校との境の壁際にあった。
小学生当時、塚がどんな様子だったのか、はっきりとは覚えていないが、入江たか子さん主演の怖い化け猫の映画を、小学生の頃見た覚えはある。

ただ、その舞台が鍋島だったのか、それとも有馬だったのかは分からない。

塚の横に立つ説明にはこう書いてある。

「今から160年ほど前、有馬藩の殿様に気に入られた女中がいました。
その女中は周りの物が嫉妬したせいで自殺してしまったのです。
その女中の飼っていた猫が主人の仇を討つために、いじめた老女を食い殺してしまいました。
そこで、山村典膳と小野川喜三郎という武士がその猫を退治しました。
この猫を弔うために建てられたのが猫塚です。
誰がいつ立てたのかは不明ですが、講談や歌舞伎で面白おかしく語り継がれています」

「猫が人間を食い殺す・・・」
子供はともかく、大人ならこの説明に納得する人はいないはず。

この塚の由来について、もう少し説得力のある説明がほしいところだ。

いったい、どのような出来事ががあってこの塚ができたのか、謎を抱えたまま校門を後にした。

三井倶楽部

赤羽小学校を出て、坂を少し上るとすぐに「綱町三井倶楽部」がある。
三井家の迎賓館として、大正2年に建てられた名建築だ。

設計は、ジョサイア・コンドル。
鹿鳴館を設計した有名な建築家だ。

実はこの「綱町三井倶楽部」の中には、まだ一回しか入ったことはない。
三井グループ企業による会員制クラブだから、なかなか入るチャンスがないのだ。

7年前に

ところが、今から7年前のこと。
本館の隣の新館でのランチは一般客も利用することができたので、友人と一緒に行ったことがあった。

その時のデザートは「秋の夜空」という、洒落た名前がついていた。(記念に撮っておいた写真がこれ)

そして食事のあと、歴史的な建物である本館の中を案内してもらった。

館内にはターナー作と伝えられる絵が飾られ、バーには世界の銘酒が所狭しと並んでいた。

終戦後、この建物は進駐軍に一時接収され、「夜のGHQ」とも呼ばれていたという。
そんな説明を受けたことを覚えている。

綺麗になった

7年前に撮った写真(上)と最近撮った写真を比べると、建物がずいぶんきれいに、そして明るくなっているのがわかる。

建ってから100年近く経つとは思えない。相当、手間と金をかけたのだと思う。

7年前、食事の後に建物の裏に広がる庭を、建物のテラスから見せて貰ったが、素晴らしいものだった。

もう一度

この写真は、「綱町三井倶楽部」のホームページに載っているものだが、もう一度、あの庭を見てみたい。

以前のように、一般客も入れるような機会を作ってもらえないだろうか。

子供のころから見てきたファンの、率直な思いなのだが。





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プロフィール

め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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