滝廉太郎の旧居跡

英国大使館裏


千代田区一番町。
英国大使館の裏手、内堀通りの西を並行する道に「袖摺坂」という坂がある。

昔は袖がすれ合うほど狭い道だったのが、その名の由来だが、今は広い道になっている。
その交差点の角に、「滝廉太郎居住地跡」の碑が立っている。

旧居跡

滝廉太郎は、この碑からほど近いところに、東京高等師範付属音楽学校専修科(後の東京音楽学校)に入った15歳の時からドイツに留学するまでの約7年間暮らした。

レリーフ

滝廉太郎(明治12年・1879-明治36年・1903)が生まれたのは、今の港区西新橋2丁目(芝區南佐久間町)。
江戸時代は豊後・日出(ひじ)藩の家老職を務めた家で、父・吉弘は内務官僚から地方官として、富山市、大分県竹田市などを移り住んだ。

廉太郎は音楽学校を優秀な成績で卒業したあと、母校の助教授に就任する。

「箱根八里」「荒城の月」「花」といった名作は、ここで暮らしていた頃に作られたという。

そして22歳の時、文部省の留学生としてドイツのライプチヒの音楽院に学ぶが、病を得て間もなく帰国。

大分の父母の元で療養していたが、明治36年6月、満23歳という若さで亡くなった。

石川啄木の26歳、樋口一葉の24歳、それよりもまだ短い生涯だった。

墨田右岸からの眺め

隅田川の右岸から、吾妻橋付近の対岸を写した写真。

この写真を撮った場所からほど近い場所にこんな碑を見つけた。


「花」の碑

浅草7丁目の川沿いの道に建てられた「花」の碑だ。

名曲「花」が作られたのは明治33年、
作詞した東京音楽学校教授・武島羽衣は当時28歳、作曲の廉太郎は助教授で21歳のころであった。


春のうららの 隅田川、のぼりくだりの 船人が
櫂(かひ)のしづくも 花と散る ながめを何に たとふべき

見ずやあけぼの 露浴びて われにもの言ふ 桜木を
見ずや夕ぐれ 手をのべて われさしまねく 青柳(あおやぎ)を

錦おりなす 長堤(ちょうてい)に くるればのぼる おぼろ月
げに一刻も 千金の ながめを何に たとふべき

今年の桜は

隅田川のこの辺りは、江戸時代から桜の名所として、花見の頃は大いに賑わった。

上の写真は2年前に撮影したもの。スカイツリーがまだ半分しかできていない。
下は2か月前のものだ。
スカイツリーもすっかり出来上がった。

浅草付近

隅田川沿いの桜。
4月1日の様子だ。まだごく一部で咲いているだけで、今週末ぐらいが見ごろになるはず。

今年は、これまでとは一味違った「花」の風景が見られそうだ。
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プロフィール

め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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