名作の舞台~隅田川・新大橋

新大橋

隅田川に架かる新大橋。
河口から数えて7番目の橋だ。
(勝鬨橋、佃大橋、中央大橋、永代橋、隅田川大橋、清洲橋、そして新大橋、一つ上流は首都高の自動車橋、そして両国橋、と続く)

今回走ったコースは、築地市場から築地本願寺前の通りをまっすぐ進み、八丁堀、水天宮、日本橋浜町を経て新大橋へ向かうコースだ。

上流を望む

新大橋の上から上流を眺めると、首都高の自動車専用橋、更にその先に両国橋がかすかに見える。

「新大橋」は、その名前から新しい橋と思っていたが、そうではなかった。
この橋が架けられたのは元禄6年(1693)。
もう300年以上も前のことだ。

上流の両国橋の旧名が大橋であったので、新大橋と名付けられたのだという。

橋が架けられていたころ、対岸の深川には松尾芭蕉が住んでいた。
「初雪や かけかかりたる 橋の上」という句が残っている。

レリーフ

今の橋の上に、こんなレリーフが飾られている。
広重の「江戸名所百景」の中の「大はし あたけの夕立」だ。

安宅(あたけ)とは、対岸に徳川将軍の御座船「安宅丸」が係留されていたことに因んで呼ばれた地名だという。

安宅丸

これは、現在、日の出桟橋と台場を結んで定期運航されている「安宅丸」。

岡山藩の殿様の御召船「住吉丸」をイメージして復元された観光船だ。
実際の「安宅丸」は、『巨大な船で「日本一の御舟」などと呼ばれた』とウィキペディアに書いてある。

広重 大はしあたけの夕立

そして、レリーフの元絵になっているのが、広重の版画。

ゴッホがこの絵に刺激され、模写したことで、広く知られている。

ゴッホが模写

右側のゴッホの絵では、隅田川が、波立っているように見える。
このあたりは、いかにもゴッホのタッチだ。

明治時代の橋

これは先代の「新大橋」。
明治45年に架けられ、昭和49年に解体された。

その間の大正12年には関東大震災があったが、橋の機能を失うことなく多くの人命を救ったことから、「人助け橋」と呼ばれたという。

明治村に残る一部

その先代の橋の一部は、今、愛知県の明治村に保存されている。

橋の真ん中に見えるのは、架橋して間もなく敷設された東京市電の線路。

まさに余生を、のんびりと過ごしているという風情だった。

現在の橋から

冬の新大橋の上で語り合う二人。

これから、この橋をモチーフにいったいどんな作品が生まれるのだろうか。

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プロフィール

め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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