錦糸町駅前に こんな碑があって、ビックリ!

錦糸町南口

JR錦糸町駅、南口。
総武線沿線の駅の中でも、有数の歓楽街を有する町としても知られる。

また近くには、都立の両国高校もあり、乗降客の数も相当な数だ。

ご存じだろうか、この賑やかな駅前に、こんな文学碑があるのを。
ちょうど、右側に停車しているバスの後部付近に、その碑はある。

碑の説明文

碑の横に立つ説明文には、「野菊の墓」の作者であり、歌人・俳人でもある伊藤左千夫(1864-1913)の牧舎兼住居跡があったと書いてある。

伊藤左千夫は、裕福な農家に生まれ、明治法律学校(今の明治大学)を中退。

37歳の時、正岡子規の「歌よみに与ふる書」を読み、5歳年下の子規に師事。
2年後に子規が亡くなると、子規の精神を受け継いで「アララギ」の中心となって活躍したほか、1905年には小説「野菊の墓」を発表。
夏目漱石から激賞された人物だ。

伊藤左千夫が、この付近で暮らしたのは明治22年、26歳の頃。
まだ子規と出会う前の頃の話だ。

伊藤左千夫

搾乳農家として独立した時で、3頭の乳牛を買い入れ、4畳半一間と土間のある仮小屋を建てて暮らしたという。

伊藤左千夫の歌でよく知られている「牛飼いが うたよむ時に 世の中の あたらしき歌 おほいに起こる」は、こうした暮らしが背景にあったのだ。

歌碑

錦糸町駅前にある碑には、こんな歌が記されている。

「よき日には 庭にゆさぶり 雨の日は 家とよもして 児等が遊ぶも」

「庭にゆさぶり」とは、ブランコをするということで、「家をとよもす」とは家を鳴り響かせるということ。

当時のこの辺りの自然の中で、子供たちが元気に遊んでいる様子を詠んだものだろう。

そして小説「野菊の墓」は15歳の少年と17歳の少女の淡い恋の物語。

舞台の一つは、寅さんのふるさと・葛飾柴又と、江戸川の対岸を結ぶ「矢切りの渡し」。

二人の別れの舞台だが、細川たかし、ちあきなおみの歌で大ヒットして、知名度は全国区だ。

この渡しは、現在も主に観光客を載せて運行されていて、対岸に渡ると文学碑などもある。


そしてもう一つ、この付近の昔を語る有名な伝承がある。

置いてけ堀

これは、駅の近くにある錦糸堀公園に立つ河童の像。

置いてけ堀

「置いてけ堀を食う」といえば、「置いてきぼり」の語源になった言葉。

釣り人が魚を釣って帰ろうとすると「おいてけー、おいてけー」という声がしたという話が本所七不思議にある。

それは「この付近にあった堀が舞台で、声の主は河童だと伝えられている」と説明に書かれている。

人形焼きの店

舗道や、駅前のお店に「置いてけ堀」の文字が見える。
町おこしに「置いてけ堀」を活用しているようだ。


でも、昔とは違うこの賑やかな環境の中で「おいてけー、おいてけー」と誘いをかける伝統は今もしっかり残っている。

駅周辺に展開する歓楽街という堀がそれだ。

また今夜も、給料の大半を「おいてく」人が、少なからずいるに違いない。

スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
スポンサードリンク
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR