日本の考古学発祥の地へ~モース博士はすごい人

史跡入口

日本の考古学発祥の地とは、ご存知「大森貝塚」。
JR大森駅のすぐ近く、駅前の池上通りを数百メートル北に行ったところに案内があった。

線路際に

案内の看板に随って細い道を入り、JRの線路際まで下りてゆくと大きな碑が立っている。大森貝墟と書いてある。

大森貝塚は、明治10年、アメリカ人のエドワード・S・モース博士が、横浜から汽車で新橋に向かう途中発見、発掘したものだ。

ここが国の史跡に指定されているところだが、この先にモース博士が実際に発掘したところがあり、公園になっている。

遺跡庭園

それが、この「大森貝塚遺跡庭園」。
午前9時から夕方まで開いているが、冬場の今は、夕方4時までだ。

近くの品川歴史館にある模型で、遺跡の位置関係を見てみよう。

俯瞰図

右側は海。

画面下に当時の大森駅がある。

そして、画面のほぼ真ん中が、国の史跡になっているところ。「南の貝塚」と書いてある。

その上のところが、明治10年にモースが発掘したところ、現在の遺跡庭園だ。

京浜東北線の上りに乗り、大森駅を出てしばらく左側を注意していると、「大森貝墟」の碑を見ることができる。


モース博士像

庭園にはモース博士の銅像もある。

博士は、腕足類といわれる貝類の研究のため来日、船で横浜に着き新橋へ向かうその足で、この大森貝塚を発見、間もなく発掘した。

そして、博士は東大の動物学、生理学の教授に就任する。

「進化論」を日本に最初に紹介した人でもあった。

貝の層が見える

この庭園には、貝塚の様子が眼で見てわかるような工夫がしてある。

土を掘って地層の断面を見せ、積もっている貝の層がわかるようになっている。

日本の時代区分として誰でも知っている「縄文」という言葉は、博士が報告書に書いた「コードマーク」という言葉を和訳したものなのだという。

博士は大の日本ファン

実は博士は大の日本びいき。
つい先日NHK・BSで「にっぽん 微笑みの国の物語ー海の向こうに残された江戸」という番組が放送された。

写真は、博士が日本で収集した民具や日常雑器の数々。

博士は「日本には、芸術的に優れた作品を作り出す人と、それを楽しむ人にあふれている。しかし、それらのものは、いつか残らず姿を消してしまうに違いない。
私は、その日のために民具を収集しておきたい」と、日用品に秘められた日本人の美意識を高く評価し、収集していた。

一番上に写っているのは使い古した下駄だ。
使っているうちに擦り減ってしまうかかとの部分の歯が、取り替えられるようになっている。
そんな日本人の知恵と工夫も高く評価していた。

博士が収集した民具や陶器は、今でもアメリカのピーボディ・エセックス博物館やボストン美術館などに大切に保管されている。

二人の子供たち

これは博士の二人の子供。
イーデスとジョンの二人の子供に和服を着せて写真を撮っている。

モース博士は1926年、87歳で亡くなったが、その全蔵書は東京大学に寄贈された。
それは、1923年の関東大震災で東京帝国大学図書館の壊滅を知ったモース博士が、全蔵書を寄付する旨の遺言を残したからであった。

日本の考古学のみならず、日本の庶民の生活文化の歴史知る上でも、大きな足跡を残してくれた人といえる。
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プロフィール

め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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