本郷散歩 ~東大周辺


赤門

国道17号線(旧中山道)を御茶ノ水方面から進んでくると、本郷3丁目の交差点を越えて右側に、東京大学の赤門が見えてくる。

ここは、江戸時代、加賀・前田藩の上屋敷があったところ。

この赤門は文政10年(1827年)、11代将軍・家斉の第21女「溶姫」を迎えるために作られた。
大名が将軍家の姫を妻に迎える際に、朱塗りの門を立てる慣習があったのだという。

法真寺

赤門の道路を挟んで反対側に法真寺という、一葉ゆかりの寺がある。一葉が4歳から9歳までの5年間住んだ家が、この寺に向かって左手にあった。

一葉の父は甲州の農家の生まれだが、士族株を買うために貯蓄に励み、維新直前に八丁堀同心の株を買い幕府直参の身分を手にした。
維新後は、新政府の下級官吏をしていた。

「一葉家にとっては、最も豊かで安定していた時代であった。病床に書いた日記の中で、幼少期を過ごした家を『桜木の宿」とよんで懐かしんだ」と説明にあった。

自宅の2階から見下ろす寺の境内、観音様に桜の花が散りこぼれるさまを日記に書いているのだという。

喫茶店も名前が違う

喫茶店の名前も、いかにも本郷らしい。
夏目漱石の旧居跡も、ここからそう遠くない文京区千駄木にある。

そういえば、漱石の長兄と一葉との間に、縁談話があったというのも、本で読んだことがある。
漱石の父親が、東京府で一葉の父の上司だった縁から持ち上がった話だった。
一葉の父親の借金話がもとで破談になったという。

菊富士ホテル跡

国道17号線の西側の道を入ると、文学関係の碑や旧跡が数多い。

これは、菊富士ホテルの跡。

もともとは下宿であったものを大正3年、五層楼のホテルとして新築したのだという。

主な止宿者の名前が記されているが、まさに「綺羅、星の如く」といった感じだ。

宇野千代、尾崎士郎、坂口安吾、谷崎純一郎、直木三十五、竹久夢二・・・等々。
更に溝口健二、月形龍之介といった映画界の人物の名前もある。

菊富士ホテルは先の戦争で焼失し、今はこの碑だけが残っている。

本郷館跡

左側の建物は、去年7月いっぱいで取り壊された「本郷館」。
木造ながら3階建ての堂々たるアパートで、明治38年に建てられた。
部屋数は70前後もあったという。
3年前ここの前を通った時、建物の大きさに圧倒された思い出がある。

「放浪記」で知られる林芙美子も、かつてここに住んだことがあるという。

右の写真は現在の様子だ。

本郷を代表する建物の一つが姿を消して、風景がずいぶん変わった。

付近には、徳田秋声の旧居や石川啄木の下宿跡など、数多くの文学の旧跡があるが、
今日は最後に、菊坂の近くの「あぶみ坂」で見かけたものを紹介したい。

金田一京助、春彦旧宅

「金田一京助・春彦 旧居跡」だ。

金田一京助はアイヌの叙事詩ユーカラを世に初めて紹介した人。昭和29年に文化勲章を受章している。盛岡中学の2級下にいた石川啄木のよき理解者で、物心両面の援助をしたことで知られる。

金田一春彦は、京助の長男で国語学者。特にアクセント研究で多くの成果を残している。

ウィキペディアには金田一春彦の話として、こんな面白いエピソードが載っている。

「石川啄木は、新婚時代の金田一家に押しかけて京助の妻・静江の晴れ着を入質させた上、質屋から借りた金を踏み倒して着物を質流れさせたことがあり、そのことを静江から繰り返し聞かされて育った春彦は後年、『石川啄木という人は石川五右衛門の弟か何かかと思って育った』と回想した」

案内板

春彦の国語学者としてのエピソードの一つにこんなのがある。

「1963年4月25日、吉展ちゃん誘拐事件が発生。自宅のテレビで犯人の身代金要求電話の録音を聴き、何気なく『この発音は茨城か栃木か福島だよ』と呟いたところ、夫人がNHKに電話しこの発言を伝えたため、マスコミから正式に取材を受けることになった。その後、逮捕された犯人が茨城県と栃木県に境を接する福島県南部の出身だったため、春彦の的確な分析が話題を呼んだ」

金田一春彦さんには、社会人となってすぐ、研修でお話を聞く機会があった。
なので、この案内板を見たときにその時の様子を懐かしく思い出した。

まず思い出したのは話の内容ではなく、胸に結んだネクタイの二重になっている下のほうが長くなっていたことだ。
ふつう、下の生地は、上の幅広の生地の陰になって見えないのだが、結び方の加減がよくなかったと見えて、幅広の生地の下に長々と垂れ下がっているのが見えた。

春彦さんは、それに気を留めることなく笑顔で熱心に話をしてくれた。
なんとも愛らしい人柄だと思った。

お話で覚えているのは、山田耕筰の作曲した歌「赤とんぼ」のメロディについてだと思う。

「ゆうやーけ こやけーの あかとんぼ」の「あかとんぼ」の音程は、アクセント通りに作曲されているということだ。

つまり「あか」+「とんぼ」だから、頭高の「あか」と「とんぼ」の「あかとんぼ」。

平板の「あかとんぼ」のアクセントでは作曲していないということだった。

歌の内容・情報を正確に伝えるために、山田耕筰はそんなところにも気を配って作曲をしたという話だったように記憶している。

だがもう40年以上も昔の話、この話は、その後読んだ本で仕入れたものかもしれない。

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め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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