樋口一葉も暮らした 隣町・西応寺町

港区には、大使館が多い。その歴史は、幕末から始まっている。

1800年代中ごろ、フランス、イギリス、アメリカ、ロシアなどが幕府に開国を迫る中、各国の公使館が、次々に今の港区内の寺院に設置された。

麻布の善福寺にはアメリカ、高輪の東禅寺はイギリス、三田の済海寺にはフランス、そして芝の西応寺にはオランダの公使館が置かれるなどしている。

その西応寺があるのは、私の地元の隣町。

今日は西応寺と町の歴史の一部を紹介したい。

西応寺正門

浄土宗の西応寺、増上寺の末寺になる。

寺があるのは芝2丁目、町名変更の前は西応寺町といった。

芝區誌

昭和13年に出された芝區史には、西応寺について、「開基は鎌倉幕府の第5代執権・北条時頼の伯母・明賢尼。 当初は境内も狭かったが、家康が訪れ1万坪を給した」と書かれている。

1万坪といえば凡そ100間(180m)四方だから、かなりの広さだったことになる。

イギリス人が描いた寺

この絵は、幕末、日本と通商関係を樹立するため日本に来たイギリス使節団が滞在した当時の西応寺。

イギリス使節団の一行は安政5年・1858年、西応寺に滞在して幕府と交渉に当たった。
日英修好通商条約は、この西応寺で締結されたのだという。

説明と碑

そして「1859年、西応寺にオランダ公使館が設置された。
しかし、慶応3年1867年の12月に起きた薩摩藩邸焼き討ち事件の時、兵火によって西応寺は全焼。
その後再建された建物も今次の戦争で全焼した」
と、門前にある都教委の案内板に書かれている。

当時の貴重な記録も、残念ながらその際に焼けてしまったという。

この焼き討ち事件は、江戸市中取締りにあたる庄内藩屯所が薩摩藩の意を受けた者たちによって襲撃されたのを受け、庄内藩ら旧幕府側の手によって行われた。

事件の背景には、旧幕府と交戦する大義名分の欲しい薩摩藩が浪人などを集め、幕府に近い商人などを襲い、略奪するなどして旧幕府側を挑発していたということがある。

庄内藩は旧幕府側であり、屯所の襲撃もその挑発行動のひとつだった。

庄内藩の屯所は、三田春日神社前にあったという。

そして、この事件がきっかけとなって、時代は薩長を中心とした明治新政府の誕生へと大きく動いてゆく。

地図

これは安政6年の付近の地図。薩摩藩邸のすぐ東隣りに西応寺がある。

薩摩藩邸が、この事件後は「薩摩っぱら」と言われたほど激しく焼き尽くされた中で、
西応寺もその兵火から逃れることはできなかった。

したがって当時の建物は現在では全く残っていない。

地図にある「七曲りだけ」が当時と変わらず、昔の記憶を今にとどめている。

七曲り

「七曲りは、大名の御用商人などが軒を並べて繁華な小路であったと伝えられる」と、芝區史にはあるが、今はその面影はない。

静かな街並みがが続く。

そして明治の中頃、短い間だが、5000円札に肖像が描かれている作家・樋口一葉も、この西応寺町で暮らしていたことがある。

一葉が父を失ったあと、一時、次兄・虎之助が住んでいた西応寺町60番地の家に転居してきたのだ。
一葉が17歳、明治22年のことだ。

しかし母・多喜と、勘当同然で分家とした虎之助との対立は絶えず、ここでの暮らしは1年に過ぎなかった。

一葉も暮らした

古い地図から、西応寺町60番地と思われるあたりを歩いてみた。
当時をしのばせるものは何も見当たらない。


一葉は、1年後の明治23年にここを離れ、本郷・菊坂町に転居、
裁縫と洗い張りで生計を立てながら小説家として立つことを決意する。

明治26年、生活に行き詰まり、吉原に近い下谷龍泉寺町に転居。
荒物と駄菓子の店を開きながら、明治28年「たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」など数々の名作を発表。

明治29年、24歳という若さで、肺結核のため死去。

西応寺での生活が、小説家・一葉にどのような影響を与えたのか知りたいところだが、残念ながら、それは分からない。

当時の街並みも、家も、そのほかの手がかりも全くない。

ただ、「七曲り」の道だけは昔のままだ。

一葉


5000円札の肖像画を見ながら、17歳の一葉が七曲りの道を歩いている姿を想像してみた。

すると、17歳で戸主になり、一家の生活を自分の肩に背負っていたからか、一葉の顔が、お札よりもずっと気丈なものに見えてきた。

皆さんはいかがだろうか。





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め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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