箱根駅伝 追走する自転車は何だろう

読売新聞PRカー

1月2日。箱根駅伝は千代田区の大手町を午前8時にスタートする。
それより10分前の7時50分、読売新聞社のPRカーが、沿道のファンに応援の小旗を配っていた。

11分後に走ってきた

駅伝がスタートして12分後、20人の選手が一団となってやってきた。

あっという間に通過

まだ4キロほどの距離なので、差はつかない。

あっという間に通過してしまうので、毎年、往路の観衆の数は少ない。

車が多数

その代り多いのは、選手と一緒に走る車両だ。
中継車、審判車、バイクカメラ、白バイなど、車の長い列が続く。

出場校の関係者が乗る

出場校の関係者が乗っている車には、屋根にスピーカーがついている。
選手に指示を出すのだろうか。

数えてみたら、自動車は34台、白バイを含めオートバイの数は10台だった。

車列の最後の白バイに続く一団が面白い。

自転車が34台も

自転車、というよりロードバイクというのだろうか、長距離を走るタイプの自転車集団だ。
どんな人たちなのかと思ってネットで検索すると、箱根駅伝の選手の後について走ろうという人たちであることが分かった。

レース中は信号規制が行われているので、信号で止まることなく走れるらしい。

コバンザメのような気がしないでもない。

こんな自転車も

中には、こんな可愛らしい自転車の人もいる。どこまで追走するつもりなのだろう。

後追いの欠点は、「コース中の戸塚バイパスが自動車専用道路なので、迂回しなくてはならないこと」らしい。

そこで、箱根まで駅伝のコースを走ろうという人は、駅伝がスタートする前に大手町を出て、箱根のゴールをめざすのだという。

駅伝の時速は20キロ、自転車は25キロで走れるとしても、信号で止まり、トイレ休憩、戸塚バイパスからの迂回、急な箱根の坂道でのペースダウン、こうしたことで貯金がなくなってしまい、スリルがあるらしい。

江戸時代の地図

ところで、これは安政6年・1859年の地図だ。
選手たちが走る日比谷通りを、ブルーの線で書いてみた。
江戸時代に、今の日比谷通りの道はなかった。

地図の「丸に十の字」の薩摩・島津氏の家紋が見える。
薩摩藩の上屋敷があったところに、今の日比谷通りができている。

復路、屋敷跡を

1月3日、箱根から選手たちが戻ってくる。
最終10区の勝負どころは、その薩摩藩の屋敷跡あたりも一つのポイントになる。

薩摩屋敷は、徳川将軍に嫁した篤姫も滞在したところ。
歩道橋から画面奥、道の両側が薩摩屋敷の敷地だ。

「100年もたてば、世界は驚くほど変わるもの」だと実感する。


ゴール前のデッドヒート

今年は東洋大学の独走だったが、シード争いでは激しい戦いがあった。

20チームが通過するまで、沿道では熱心な応援が続く。

沿道にたくさんの人

私の高校のときの友人が今から40年余り前、箱根駅伝に出場して3区を走っている。
戸塚-藤沢の区間だ。

その時のタイムを調べたら、1キロ平均で3.93分かかっていた。

今では、ほとんどの選手がキロ3分ぐらいだから、明らかに競技のレベルは上がっている。

正月のスポーツイベントとしてすっかり定着した今、ランナーにとっての夢の舞台にどんどん成長してきているようだ。











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プロフィール

め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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