正月2日は 恒例・墓参りジョギング

冬の青空

正月2日の我が家の恒例は、箱根駅伝を見送った後に出かける「墓参り」だ。

2日の東京は冬の青空が広がり、太陽の陽射しが広がっていた。
気圧配置は冬型だから、日本海側の各地は鉛色の雲が垂れ込め、雪の降っているところも多いはず。

私も日本海側の県で、合わせて18年も暮らしたのでよく知っている。
こんな日は、日本海側で暮らす人にちょっぴり申し訳なく思う。

でも、晴天がいいとばかりは言えない。

雪国で暮らしていた時には、冬にあかぎれになったことはなかったが、東京では毎年、手や足の皮膚が割れて、痛い思いをしている。

当時は、「雪がもち肌を作る」などと馬鹿な文句を年賀状に書いたこともあったっけ。

乃木神社

さて、「目指すは、本所・松坂町!」ではなくて、「目指すは、赤坂・圓通寺」。

麻布十番から六本木交差点を過ぎると、乃木坂が見えてくる。
赤坂のほうに坂を下りると正面に乃木神社。

昨年末の「坂の上の雲」の効果か、多くの参拝者が訪れていた。

報土寺

坂を下ってTBSの手前を左に折れると、急な上り坂が見えてくる。
「三分(さんぷん)坂」だ。

とても急こう配で、ノークラッチの車がない昔は、坂道発進が恐ろしくて、「どうか、途中で止まることの無いように」と念じながら運転したことを思い出す。

そして、この正面に見えるお寺は「報土寺」。
江戸時代の名力士「雷電為右衛門(1767-1825)」の墓があることで知られる。

雷電の墓

雷電は力士生活21年間の戦績は、250勝10敗。
大相撲史上、古今未曾有の最強力士と評する人もいるという。

圓通寺の鐘

雷電への新年のあいさつを済ませ、三分坂を上がると、右手に圓通寺が見えてくる。

この鐘は、江戸中期に江戸の町なかと主要な宿場、合わせて9か所に置かれていた「時の鐘」のひとつ。

毎日3回(明け六つ-午前6時、午-正午、暮れ六つ-午後6時)撞かれた。

鐘楼1か所あたり4人の用人が置かれ、交代勤務をしていたという。

維持管理費用は、鐘の聞こえる範囲の町々から、月額1文を棟割で徴収、
武家は禄高によって別途徴収されたのだという。

今も、江戸の「時の鐘」が残るのは、内藤新宿(天龍寺)、愛宕下切通し(増上寺)、上野(寛永寺)、浅草(浅草寺)、伝馬町の石町(十恩公園)、目黒不動(龍泉寺)、それに、ここ圓通寺の「赤坂田町」の7か所とのことだ。

赤坂の料亭

墓をきれいに掃除し、お参りを済ませて、圓通寺坂を下る。

一ツ木を越し、溜池方面に抜ける裏通りに赤坂の料亭が軒を並べている。

2日の日中は、まったく人影がない。

内部がどんな様子なのか、行ったことがないから全くわからない。

「駕籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」という言葉があるが、
私は「正月2日に通るだけ」の人だ。

こうして、正月2日は、静かに穏やかに暮れて行った。


今日は最後に、徳川家の菩提寺で浄土宗大本山、芝・増上寺の「新年を迎えるカウントダウン」の様子をご覧いただこう。

撮影中にポジションを変えることができなかったため、窮屈な映像ですが、どうぞお許しを。
それでは、どうぞ。




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プロフィール

め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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