旧東海道を歩いたことはありますか ①

江戸時代、東海道を西へ向かう旅人にとって、高輪の大木戸を出ると最初の宿場が品川だった。

今日は、宿場のあった北品川から、鈴ヶ森の刑場にかけての旧東海道を紹介したい。

品川駅

スタートはJRの品川駅。
駅舎があるのは品川区ではなくて港区というのは、有名な話だ。

現在計画されているリニア新幹線の始発駅に予定されていて、これから更に発展することは間違いない。

京急の下はラーメン街

品川駅前から第一京浜国道を、川崎のほうに進むと間もなく、京浜急行の線路の下に食堂街が続いている。

ラーメン店がひしめくラーメンの激戦区だ。

2004年に誕生し、七つののラーメン店が軒を並べ、味を競っている。

八ツ山橋
そこを過ぎると、正月恒例の「箱根駅伝」にもたびたび登場する八ツ山橋に差し掛かる。
ここで道は二つに分かれる。

第一京浜は右に進み、新八ツ山橋を渡る。

一方、旧東海道へは左手の道を進み、JR東海道線の上をまたぐ「八ツ山橋」を渡る。

渡ったところに立つ地図に面白いことが書いてあった。

この八ツ山橋は、映画「ゴジラ」の東京上陸地点だったというのだ。
ひょっとすると、ゴジラファンの方の中には覚えている方もいるかも。

東司

地図の近くに立つ建物。白い壁がまぶしい。
「東司(とうす)」と書いてある。

辞書で調べると「禅寺で便所のこと」と書いてあった。

踏切を渡ると旧街道

そして、京浜急行の踏切を渡ると、そこからは、いよいよ旧東海道だ。

今でも、江戸時代と同じ道幅だという。
車の通行量も少なく、街並みを見ながらの散策・ジョギングは楽しい。

土蔵相模

しばらく行くと左手にコンビニが見えてくる。
コンビニの上はマンションになっている。

実はここは幕末に「土蔵相模」という旅館のあったところ。
案内板も建っている。

模型

これは品川歴史館にある土蔵相模の模型。
説明には『食売旅籠屋(めしうりはたごや)』とあり、「飯盛り女によるサービスがある遊興的な要素を持つ宿」と書いてある。

そして、ここは幕末における、一つの歴史の舞台だったところだ。

「1862年、御殿山への英国公使館建設に際して、高杉晋作、久坂玄瑞らの攘夷派はここで密議をこらし、12月12日夜半に焼き討ちを実行した」と、跡地に立つ案内板に書いてあった。

焼き討ちを実行した者のうち、伊藤博文、井上薫の伝記や回顧録には、「高杉と久坂は芝浦の妓楼で、燃え盛る公使館を眺めながら酒盛りをしていた」と当日の様子が語られているということだ。

昔の写真

フランキー堺主演、川島雄三監督の「幕末太陽伝」も、この土蔵相模が舞台になっていた。

フランキー堺が演ずるのは、落語の主人公の「居残り佐平次」。
石原裕次郎が高杉晋作の役だった。

この映画は、映画雑誌の投票でもいまだに高い評価を受け、日本映画の傑作の一つに数えられているという。

駐車場の江戸の香り

そして、これは街道沿いに見かけた、駐車場。
旧東海道のイメージを大切にしようという気持ちなのだろう。

なんとなく、江戸を感じさせる。他では見ることのない駐車場だ。

品川橋

北品川と南品川とを分ける品川橋。

旧道沿いに高層ビルはほとんど見かけない。
 時折、「高層ビル反対」の看板を見かけることがある。

ここに住む人たちの街並みへの思いの表れなのだろうと思う。

第一京浜と並行して続く旧東海道は、江戸時代に刑場のあった鈴ヶ森まで続くが、この後は明日、紹介しよう。






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め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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