芭蕉のふるさとに行ってきた

奈良からJR関西線、第三セクターの伊賀鉄道を乗り継いで、芭蕉のふるさと伊賀市上野に行ってきた。

芭蕉生家

芭蕉の生家は、伊賀鉄道「上野市駅」から歩いて10分あまりのところにある。

道路沿いだが、芭蕉の生まれた当時は、まだこの道はなかったらしい。
歩数を数えて、家の敷地の長さを測ってみた。
約42メートルもあった。

生家の玄関

そして、ここが玄関。前を通る道が当時からの道だという。

間口は4間あまりだから、7メートルあまり。
とても細長い住まいだ。

芭蕉が生まれたのは1644年(寛永21年)。
「家は農業を生業としていたが、苗字を持つ家柄であった」とウィキペディアには書いてある。

ただし、芭蕉が生まれたのは今から360年余りも前になるから、この母屋も生まれた当時のものではない。
係の人の話では、幕末・安政以降に建てられたものだという。

なるほど、帰ってから調べてみると安政元年(1854)にはM7.4の伊賀上野地震が起きているので、
家の横に立つ碑も「史跡 芭蕉翁誕生の地」となっている。

芭蕉は次男で、青年期には藤堂藩の藤堂新七郎家に仕え、当主の嗣子とともに俳諧をたしなみ、地方俳壇に知られる存在となっていった。

釣月軒

そして、母屋の後ろに立つこの建物は「釣月軒」。
芭蕉が29歳の時に初めて出版し世に問うた「貝おほひ」を書き上げた場所だ。

この「貝おほひ」は、地元上野の俳諧仲間が左右に分かれて発句(俳句)を出しあい、選者がその優劣を定めるもので、選者は芭蕉が務めている。

部屋の中

その序文の中で「伊賀上野 松尾氏宗房 釣月軒にして自ら序す」と署名しているという。
このころ芭蕉は「宗房」と号していた。

この暗く寒そうな部屋で、芭蕉は机に向かっていたのだ。

更に「芝三田2丁目 中野半兵衛開版」とあるそうだから、江戸、それもこの芝の近辺で出版されたと考えられ、一層親しみを感じる。

「貝おほひ」を書き上げててからしばらくして芭蕉は江戸に下る。
そして、号を「桃青」と改める。

芭蕉

これは釣月軒の裏に植えられている植物の芭蕉。
係の人は、当時からここに芭蕉が植えられていたわけではないと話してくれた。

芭蕉と号するのはその後、芭蕉が39歳になってからのことだ。

江戸・深川の草庵に門人の一人が芭蕉一株を送り、いつしか「芭蕉庵」と呼ばれるようになったことから、正式に「芭蕉」の号を用いることになったという。

地図・桃青

「芭蕉生家」の近くに住宅地図があり、左上に「桃青中学校」と書いてあるのが見える。
すぐに「桃青とは、芭蕉が用いた号のひとつだ」と気がつき、この写真を撮った。

中学校に芭蕉の号を命名したのは、とても素晴らしいことだ。
卒業生は、芭蕉を郷土の誇りとしてずっと胸に抱いていくことだろう。

玄蕃町

「さまざまの事おもひ出す桜かな」

芭蕉が伊賀上野に帰省中、花見の宴に招かれた時の句だ。
簡明だが、なぜか心に、切なく、懐かしく迫って来る句だ。

句が詠まれた場所は「さまざま園」と呼ばれ、生家の近くだという。
まだ周辺には昔から続く静かな街並みが残っている。
付近を歩いて写真に収めようとしたが、私有地とのことで、それはかなわなかった。


最後に、伊賀上野で見かけた芭蕉の句碑を2つ紹介したい。

まゆはきを

これは芭蕉が「奥の細道」の旅の途中、山形県尾花沢で詠んだ句。
「まゆはきを おもかげにして べにの花」と読む。

日本の文化勲章を受章し、東日本大震災後、日本に永住することを発表して話題となったドナルド・キーン氏が英語訳をつけている。

直訳すれば、「淑女のお化粧に使うパフを思い起こさせることだ、このサフランの花は」とでもなるのだろうか。
もちろん、サフランは紅花とは違う。世界に向けてこの句を紹介するにはサフランのほうがイメージを伝えやすかったのだろう。

「眉掃き」が「白粉をつけた後、眉を払うのに用いる小さい刷毛」ということを知らない私のような者には、
英語訳のほうが句の意味をつかみやすいように感じた。

もう一つ紹介するのは、芭蕉の生家の端に立っている句碑だ。

芭蕉の筆跡を碑にそのまま彫りこんである。

臍の緒に

「古里や 臍の緒に泣く としのくれ」

芭蕉が44歳の頃に古里で詠んだ句だ。

久しぶりにふるさとに帰った芭蕉は、兄・松尾作左衛門から大切にとっておいた臍の緒を見せられる。
父親は芭蕉が12歳の時に亡くなっているが、女手ひとつで自分を育ててくれた母親は4年前に亡くなったばかりだ。

江戸に出て思うように親孝行ができなかった芭蕉は、自分の臍の緒を見て懐かしい母親を思い出し、こみ上げるものがあったのだろう。

芭蕉の、母に対する思いが伝わってくる句だ。

今年もまた、年の暮れを迎えている。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
スポンサードリンク
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR