田沼意次は 悪人だったのか

田沼意次(1719-1788)。
学校ではワイロで名高い江戸中期の老中と習ったが、本当なのだろうか。

しばらく前、静岡出身の先輩から、こんなお菓子をいただいた。

ワイロ最中

東名高速の牧之原SAで、毎週土曜日朝に売り出されているという「ワイロ最中」。

「話の種に一度買ってみたいお土産ランキング」第4位に選ばれたこともあるとかで有名らしい。

この最中を売り出したのは静岡県の相良町商工会青年部OB有志のグループ。(相良町は、現在牧之原市になっている)

田沼意次が遠江・相良藩の初代藩主だった縁から、この商品が企画されたという。

注意書き

箱の横に、こんな注意書きがあった。

中はどうなっているのか、楽しみに開けてみた。
中味 これは紙

これは、饅頭が印刷された紙。

「付け届けは饅頭にかぎるのう」と書いてある。

昔の東映時代劇なら、この紙の下には、山吹色に輝く小判が眠っているはず。

これが中味

期待して開けてみれば、やっぱり「もなか」だった。

一応、小判の形をしているのは約束通り。

そのほか、お茶と「したごころ」と書かれた「のし袋」が入っていた。
この「のし袋」は何かの折に使えると思い大事にとってあるのだが、いまだ出番はない。

入れ物の裏にこんなことが

そして箱のふたの裏に、田沼意次の功績を記した文が書いてある。

それによると、政敵によって失脚させられ、ワイロ好きの悪人という汚名を着せられたが、実は画期的な政策を次々に打ち出した人物であったという。

例えば、「幕府財政の立て直しのため、初めて予算制度を確立した」「通貨の統一を図った」「海外貿易に力を入れ、絹の国産化により貿易黒字を達成」等々、「藩という枠ではなく日本全体を見ていた天才的な政治家だった」ということが書かれている。

墓

駒込の勝林寺にある田沼意次の墓。染井霊園の近くにある。

確かにネットで調べてみても、田沼意次は単にワイロ好きの大悪人ではなく、幕府財政立て直しのために様々な取り組みをした人物のようだ。

とかく勝者による歴史の記述は、敗者には厳しいものだ。

地元ゆかりの人物の悪評を逆手に取ったこの土産品。

地元の評価は様々だというが、私にとっては田沼意次という人物や相良町・牧之原という土地を知るきっかけになった。

お墓の田沼意次もうれしいのではないか。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
スポンサードリンク
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR