中の橋 幕末の大事件の現場


中の橋は、古川に架かる橋。
一の橋と赤羽橋の中ほどにあるから、その名がついたという。

中の橋
東麻布側から三田のほうを見ている。

元の専売病院、現在は国際医療福祉大学 三田病院だ。
みのもんたさんが腰の手術をした病院として注目され、中の橋周辺で最も知名度のある建物かもしれない。

中の橋は高速道路とビルに周囲をふさがれ、近くまで来ないと橋の存在に気がつくことはない小さな橋だ。

ここはヒュースケン事件の現場

ところがこの橋のたもとは、幕末に起きた大国際問題「ヒュースケン暗殺事件」の現場だったのだ。

ヒュースケン事件とは、1861年1月15日夜、アメリカ公使館通訳・ヘンリー・ヒュースケンが、赤羽接遇所から宿舎の麻布善福寺に向けて帰る途中、尊王攘夷派の武士に襲われ死亡した事件のことだ。

当時の中の橋

赤羽橋から中の橋の方向を写した写真。
左に見える建物は、有馬藩の屋敷。
その右側に道路、そして土手。その奥に中の橋が小さく見える。

同じ視点で撮影

ほぼ、同じアングルで写真を撮ってみた。
土手だったところにビルが立ち並び、昔の面影は全くといっていいほど残っていない。
川の姿は全く見えない。

事件当日のヒュースケンの動きを見てみよう。

赤羽接遇所

この写真は、赤羽橋から飯倉方向を撮ったもの。真ん中に見える道は、国道1号線。

画面左、建設中の建物のあたりに、外国人のための宿舎兼応接所の「赤羽接遇所」があった。

見取り図
画面、右下が赤羽橋。
道に沿った左側に、赤羽接遇所があった。

赤羽接遇所が設けられたのは1859年、シーボルト父子も滞在したことがあるという。

事件当時、ヒュースケンはプロイセン使節と幕府の通訳を一時的に務めていて、この日は接遇所で開かれた晩餐会に呼ばれていた。
事件は、晩さん会が終わって麻布の善福寺に帰る途中に起きた。

現場
現場は中の橋の東麻布側のところ。待ち伏せしていた薩摩藩士に襲われたのだ。
小さく信号が見えるのが中の橋の交差点。

この事件で、フランス、イギリス、オランダの代表は幕府の警備体制を非難して横浜に一時退去、大きな外交問題に発展したという。

その後、幕府がヒュースケンの母親に1万ドルの弔慰金を支払って事件は落着した。

光林寺にある墓

南麻布の光林寺にあるヒュースケンの墓。

「アムステルダムに生まれ、江戸で死亡」と英語で書かれている。

ヒュースケンはオランダ人だったが、21歳の時にアメリカに帰化。
当時の日本は、外交の公用語としてオランダ語を採用していたため、アメリカ公使ハリスに随って来日していたのだった。

墓には、ボルスと書かれた洋酒のボトルが置いてあった。

調べてみると、彼の生まれ故郷アムステルダムに本社のあるメーカーの酒だった。

彼がアムステルダム出身ということを知る誰かが、墓参りの折りに置いて行ったのだろう。

シュリーマンの本
この本は、ギリシャ神話に登場する伝説の都市・トロイの遺跡の発掘をしたシュリーマンが書いた旅行記。

彼は幕末の1865年に日本を訪れ、アメリカ公使館のあった麻布の善福寺に泊まっている。
ヒュースケンの事件から4年後のことだ。

この中でシュリーマンは、善福寺の警備がきわめて厳重であったとして、次のように書いている。

「ここで昼間は200人、夜間は300人以上の役人が太刀と弓、鉄砲と短刀で武装して警備にあたっている。味方同士を確かめる合言葉が夜ごと決められ、受け答えできずに通り過ぎようとする者はたちどころに斬られることになっている」…「この夜の合言葉は『誰』に対して『風』であった」

物々しい警備振りであったことが、よくわかる。

シュリーマンは精力的に江戸市内を見て歩き、愛宕山から江戸城を眺めたり、浅草、日本橋に行ったりしたほか、光林寺のヒュースケンの墓も訪ねている。


この旅行記で、シュリーマンは、「日本人は世界で一番清潔好きの国民」「教育はヨーロッパの文明国以上にいきわたっている」「荷物検査の役人は心付けを受け取らない」など当時の日本の文化・モラルを高く評価している。

そんな記述を読むと、現代に住む私も素直にうれしい。

日本人の高い倫理観は、今回の大震災でも世界から高く評価された。
そして、資源の少ない日本が貿易立国できているのも高い教育水準のおかげ。

これからも誇りにし、大事にしたいものだ。

シュリーマンが日本を訪れた1865年から3年後に、日本は明治維新を迎える。

一方、シュリーマンは日本訪問の翌年・1866年にパリで考古学を学び、1871年に伝説の都市・トロイを発掘することになる。
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め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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