敵役はつらいよ 小林平八郎

吉良邸跡
これも忠臣蔵シリーズ。
これは墨田区両国にある、本所松坂町公園。
赤穂浪士が討ち入った旧吉良邸の跡地の一部を公園として保存している。

「昭和9年に地元の有志が遺跡を後世に伝えようと屋敷の一角を購入し、当時の東京市に寄付したもの」と説明にあった。

吉良邸は、当時2500坪あまりもある広大なものだったが、この公園は約30坪。
内部には、吉良邸の見取り図や赤穂浪士の「家来口上」などの資料、事件を描いた浮世絵などがあった。

吉良家家臣
これは、吉良家の家臣の冥福を祈る碑。
一番初めに、小林平八郎の名がある。そして清水一学の名も。

映画や講談では、吉良の家臣として赤穂浪士の前に立ちはだかる敵役として語られてきた。
腕が立つので赤穂浪士が危ない場面もあるが、最後には討たれ、観客は拍手喝采という損な役回りだ。

でも、よく考えれば可哀そうだ。

吉良の家臣であったというだけで悪者扱い。
忠義で、信義にも厚い立派な人物であったのかもしれない。
その上、剣の腕が立ったのなら尚更だ。

慈眼寺

豊島区巣鴨5丁目の「慈眼寺」という寺に、小林平八郎の墓がある。
この寺には、ほかにも、芥川龍之介、司馬江漢といった有名な人の墓もある。
寺の場所は、「ソメイヨシノ」のふるさと・染井霊園の西隣りだ。

芥川墓

芥川の墓には、こんな可愛らしいものが置かれていた。

司馬江漢


これは司馬江漢の墓。
「江戸後期の洋風画家で、日本で初めて銅版画を制作した」という説明板も立っている。

実は、その右側に見えるのが、小林平八郎の墓なのだが、説明は何もない。
寂しく佇んでいるように見える。

小林平八郎
月岡芳年画「小林平八郎」

歌舞伎などをもとに描かれたのだろうが、顔は腕に半分隠されて表情は読み取れない。
絵師としても、描くための情報がなかったのだろう。

ウィキペディアで調べても、「伝承やお芝居では、吉良側で最も活躍した剣客とされることが多い」という説明で、人物像に迫る興味あるエピソードや記録などは見当たらなかった。

討ち入りから300年余り、その間ずっと敵役だった小林平八郎。

きっと不本意な思いでいるのに違いない。

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め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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