「柳橋」と神田川


対岸から見た柳橋
柳橋は、神田川が隅田川に流れ出る河口にかかっている。

神田川は、井の頭池などを水源にする全長25キロの都市河川だ。
あの、かぐや姫のヒット曲「神田川」の歌詞にも登場するので、知っている方も多いだろう。

はしから
柳橋の欄干から対岸を見てみよう。
右手に見える橋は両国橋。
江戸初期の架橋当時、川の手前側が武蔵の国、対岸は下総の国であった。
ここから両国橋の名がついたのは前にもお話した。

写真では見えないが、正面から少し左、川から100mほどのところに国技館がある。

柳橋の欄干をよく見ると、何か細工してあるのが見える。近寄ってみよう。

欄干の簪
おわかりだろうか。「かんざし」だ。

ここ柳橋が、明治維新後、新橋とともに東京を代表する花街であったことからの細工なのだろう。

橋のたもとにある説明板には、正岡子規の「春の夜や 女見返る 柳橋」という句が書かれていた。

神社

橋の近くにある小さな神社。
「芸妓組合」「料亭組合」の文字が読める。

新橋は、新政府の役人たちで賑わったのに対して、柳橋は江戸以来の商人や昔の旗本たちが主な客筋だったという。

しかし時代が変わった。
柳橋芸妓組合は平成11年1月に解散し、この街から芸者さんの姿は消えてしまった。

旦那衆の遊ぶ店もスタイルも大きく変わったことが大きいのだろうが、
隅田川の汚れを客の減少理由の一つに挙げる人もいる。

料亭
橋のたもとにある江戸の昔から続く料亭。
両国に近いところから、現在も横綱審議会はここで開かれているという。
見るからに、粋なたたずまいだ。

船宿も
川に沿って船宿も並び、江戸情緒を残してはいるが、今ではビジネス街の印象がより強い。

神田川を遡るとすぐのところに、人形を扱う店が並ぶ浅草橋商店街がある。
さらに行けば秋葉原だ。

あの名曲「神田川」の舞台は一体どこなのだろう。川に沿って遡ってみることにした。

御茶ノ水
ここは御茶ノ水。
大学が多く、歌の主人公になりそうな学生で溢れている。

でも、歌詞のイメージとは、少し違う。
ビルが多いし、川が生活圏から少し離れている。

貴方はもう忘れたかしら 赤い手ぬぐい マフラーにして
二人で行った 横丁の風呂屋 一緒に出ようねって言ったのに
いつも私が待たされた 

洗い髪が芯まで冷えて 小さな石鹸 カタカタ鳴った
貴方は私のからだを抱いて 冷たいねって言ったのよ
若かったあの頃何も恐くなかった ただ貴方のやさしさが 恐かった

貴方は もう捨てたのかしら
二十四色のクレパス買って 貴方がかいた私の似顔絵
巧(うま)くかいてねって言ったのに いつもちっとも似てないの
窓の下には神田川 三畳一間の小さな下宿
貴方は私の指先見つめ 悲しいかいってきいたのよ
若かったあの頃何も怖くなかった ただ貴方のやさしさが 怖かった


早稲田
イメージを探して更に川を遡る。
水道橋、飯田橋、江戸川橋、そして着いたのが早稲田。

川のイメージは悪くない。
当時、この付近には学生を対象にしたアパートや下宿が数多くあったはずだ。
作詞者の喜多條 忠氏は早稲田で学んでいた。

この付近が歌の舞台である可能性は高いと思いながら走ってみた。
しかし、安下宿、銭湯・・・歌で描かれている貧しさを感じることはなかった。

歌が世に出て約40年、時代が移り、歌にあるような世界は視界から消えていた。


変わったのは柳橋だけではなかった。
「神田川」の世界も、同じように変わっていた。







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プロフィール

め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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