芝園橋今昔


大正末期の「芝園橋」の貴重な写真が手に入った。

芝園橋は、港区の芝公園と芝地区を結ぶ橋で、古川にかかっている。
通りは「日比谷通り」と呼ばれ、大手町から日比谷公園、内幸町、増上寺を経てJR田町駅手前で第一京浜と合流している。

東京マラソン
これは2009年の東京マラソンの時の写真。芝園橋は、画面の左奥あたり。

日比谷通りのこの辺りは、東京マラソンや、正月の箱根駅伝のコースにもなっているが、実は江戸時代は道ではなかった。
もともと、この辺りには大名屋敷が立ち並んでいたのだが、明治時代に道を通したのだ
この写真のすぐ右手に日本電気の本社ビルがあるが、そこは元の薩摩藩屋敷があったところ。

会見の地
そして、そのさらに右手、日比谷通りと第一京浜の合流点のあたりに、西郷・勝会見の地の碑が立っている。江戸から明治へ、歴史の現場だ。

さて、芝園橋は明治10年代に架橋され、大正15年に改築されたが、その「改築渡橋式」の様子を記録したのがこの写真だ。

大正15年
画面左上が日比谷方面、電車が見える。
1903年(明治36年)には、三田から、芝園橋を通り、日比谷公園までを結ぶ東京市電の三田線が開通していたので、「渡橋式」に参加したのだろう。

昭和35年ごろ

これは昭和35年ごろに同じ場所を移したもの。
上の写真と、まだそんなに変わってはいない。

現在の芝園橋屋上から
これは最近の芝園橋の様子。
古川の上に首都高速が走り、昔のような開放感がない。
川の上に高速を作るのは、手っ取り早く安上がりだが、都市の美観の面からはいただけない。

都市計画は、一度出来上がってしまうとなかなか元には戻せない。
街づくりにはビジョンが必要だとつくづく思う。
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め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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