二都の紅葉で出会った歴史②京都・清水寺

京都駅ビルで①

12月初旬、京都駅ビルの一角で、面白い水のパフォーマンスを見かけた。

水が、いくつかの京都らしい風景を描きながら、上部から流れ落ちてくる。

これは五重塔を表しているのだろう。

大文字焼き

こちらは「大文字の送り火」

この他にもいくつかの京の光景を、水が見事に描いていて感心した。

清水寺

この日、京都に着いてすぐ向かったのは清水寺。

中学校の修学旅行以来だったから、半世紀ぶりに訪ねたことになる。

紅葉も終わりに近く、冷たい雨も降って初冬のたたずまいだった。

毎年この時期、清水寺では「今年の漢字」が発表される。

「今年の漢字」が発表されるようになってから、今年でちょうど20年になることから、特別展も開かれていた。

一回目は平成7年、阪神・淡路大震災が起きた年。
その年は「震」という漢字が選ばれている。

古都の紅葉

今年の漢字は、12月12日に発表され、ご存知のように「税」という字が選ばれた。

和服姿の若い人たち

境内には、和服を着た女性が多かった。

女性だけではなく、若い男性も和服という姿を多く見かけた。

さすが京都と思ったが、近づいて話す言葉を聞くと、中国をはじめ東南アジアの人達であることがわかった。

和服体験をしていたのだった。

アテルイとモレの顕彰碑

境内を歩いていると、こんな碑と出会った。

難しい字だが

「北天の雄 アテルイ モレ 之碑」と記されている。

碑の横に説明があり、そこにはこんなふうに書いてある。

”アテルイとは、8世紀末岩手県水沢市を本拠とした蝦夷(エミシ)の首領、モレはその副将。

中央政府の数次にわたる侵略に対し、数年に及ぶ奮闘もむなしく、坂上田村麻呂の軍門に下り京都に連行された。

田村麻呂は、敵将ながらアテルイ、モレの武勇、人物を惜しみ政府に助命嘆願したが入れられず、二人は802年河内で処刑された。

そして田村麻呂開基である清水寺境内にこの顕彰碑を建立した”


この碑を建てたのは、奥州市水沢地区出身者などで作る「関西アテルイ・モレの会」の人達。

平安遷都1200年を期して、1994年に建立された。

「関西アテルイ・モレの会」の説明には、

”朝廷と蝦夷との戦いは774年から811年まで38年間も続いた。

その最中の802年、阿弖流為たちは休戦に応じて兵500人余りを率いて投降、京都に連れられる。

田村麻呂は両雄の武勇と器量を惜しみ東北経営に登用すべく助命嘆願するも聞き入れられなかった”とある。

碑文の揮毫は、清水寺の森清範貫主。

毎年「今年の漢字」を一気に書き上げている人だ。

顕彰碑

歴史は勝者の側からしか記されてこなかった中で、敗者はほとんどすべてが歴史の闇の中に消えてしまっている。

アテルイ、モレという人物がいったいどんな人物であったのか、更に当時の東北地方はどんな生活であったのかなどを知る手掛かりは極めて少ない。

そんな中にあって、この碑は敗者を顕彰する数少ないものといってもいいだろう。

舌切茶屋

境内を進むと茶店が見えてきた。 「舌切茶屋」と書いてある。

おととしの大河ドラマ「竜馬伝」で、土佐藩主の山内容堂を演じた近藤正臣さんにゆかりの深い茶店が清水寺境内にあると聞いていた。

これがそのお店だと、すぐに気が付いた。

時は幕末、天皇の勅許なしに開国を進めようとした大老・井伊直弼は、これに反対する尊王攘夷派を弾圧して安政の大獄が起きる。

このころ、清水寺の塔頭、成就院住職の兄弟、月照上人と信海上人が討幕運動に身を投じる。

幕府の弾圧から逃れるため、月照上人は薩摩の西郷隆盛と共に九州に逃れるも入水自殺で命を絶ってしまう。

その月照上人の友であり、成就院の執事をしていた近藤正慎という人物が、近藤正臣さんの曽祖父にあたり、この舌切茶屋が境内に出来た理由ともなっている。

というのも、近藤正慎はその後幕府方に捕えられ、月照上人の行方を問われ拷問を受ける。

しかし近藤は白状することなく自ら舌を噛み切り壮絶な最期を遂げる。
これが茶屋の名前「舌切」の由来となっている。

清水寺は、近藤の功績に報いるため、遺族・家族の生計になればと境内茶屋の開設権利を与えたとのことだ。

境内にはこの他に「忠僕茶屋」という名の茶店がある。

こちらは、月照上人の九州下向につき従ったあと捕えられ、月照上人さらには獄中で再開した信海上人の二人の墓を守り続けた大槻重助という人の子孫が経営している。

ということで、今年の紅葉見物では、

11月末には皇居近くで彦根藩屋敷の碑と出会い、12月初旬・京都では尊王攘夷運動ゆかりの茶屋と出会うことになった。

「今年の紅葉は、井伊直弼がキーワードだったようだ」と思っている。

スポンサーサイト
プロフィール

め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
スポンサードリンク
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR