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「女子プロ野球」の歴史の一端

田中将大の記念ボール

東京ドームにある「野球殿堂博物館」の一角に、元楽天の田中将大のユニフォームと、2013年のシーズンに連勝記録を達成した際の記念ボールが飾られていた。

田中は2013年ペナントレースでは24勝で負けなし、

2012年から年をまたいで続く連勝も「28」まで伸ばすという大記録を打ち立てた。

2014年からのシーズンではヤンキースの一員として、内外のファンから大きな注目を集める存在となっている。

昭和25年発足の女子プロ野球

同じ「野球殿堂博物館」中に、昭和25年に発足した日本の女子プロ野球の選手が使用したミットとグラブが展示されている。

実は、私の姉も発足当時の女子プロ野球のチームに在籍していたことがあり、当時の話しを聞いたことがある。

当時の新聞記事

これは、昭和25年、日本女子野球連盟が発足し、後楽園で4チームによるトーナメントが行われた時の新聞記事。

姉が大事に保存していたものだ。

以前、姉に聞いた話や、女子プロ野球について記した新聞記事から当時の様子を簡単にまとめると、次のようになる。

”日本で女子プロ野球が発足したのは昭和24年、

「ロマンス・ブルーバード」というチームが出来たのが最初で、翌25年に、「レッドソックス」、「ホーマー」、「パールス」が誕生。

昭和26年の3月、上記の4球団で日本女子野球連盟が作られた。

しかし個人オーナーの球団であるブルーバードと、企業がバックアップする他チームとの考え方の違いから、ブルーバードは連盟結成から5か月で連盟を脱退。

当時の新聞記事やその後の研究著作によると、連盟はブルーバードを「もうけ主義の興行師的経営は女子野球を毒する」と批判、このためブルーバードは連盟から脱退したのだった。

その歴史

当時の新聞には次のような厳しい記事もある。

「発足まもない女子野球に一般の人たちがどんな感じを抱いているかといえば“ショウ的野球”以外の何ものでもない」。

連盟内の対立の背景には、女子プロ野球が目指すものは何なのか“ショウなのか、男子プロ野球に負けない技術なのか”その辺りの考え方に食い違いがあったようだ。

その後、技術中心の本物の女子プロ野球を作ろうという動きの中で多くのチームが生まれ、翌26年には公式リーグ戦も始まった。

当時の入場券

当時の入場料は内野席で60円とある。

昭和25年当時の物価データを見ると、国鉄の入場券が5円、都内のラーメンの平均の値段が25円、コーヒーが30円だった。

ラーメン2杯分程度の料金といえようか。

昭和25年当時のことを記した新聞記事によると、チームの財政状況は厳しかったようだ。
記事には次のように書いてある。

「(日本女子野球連盟が)4月に発足以来6月いっぱいまで北海道を除く全国各地で52試合を行い、1試合のギャランティは平均で約5万円。うち1割は連盟に、残りを勝者6.敗者4の割合で分配。選手の給料は約7千円が最高、最低は3千円くらい。関西の球団では新加入の選手には3か月無給のところもある」

このことに関して姉に聞いたところでは、「給料については一度も貰った覚えはない」という。

ただ、用具は支給され、巡業の旅費・旅館代などの費用は球団で出したので、個人負担することなく各地を旅行することはできたと話していた。

(因みに、人事院のデータでは、昭和26年の大卒の初任給が5500円、短大卒で4450円という時代だった)

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姉が最初に入団したのは「ニッサン・パールス」という名の球団で、「ホーマー」とコンビを組んで全国を巡り2チームで試合をするとともに、地元の男性チームから対戦相手を募り、試合をしたという。

使用球はトップボール。

入団から間もなく、姉は全国で11番目に出来た「クロススターズ」というチームに引き抜かれたが、姉はほどなくチームをやめている。

その理由について聞くと、「チームの財政事情が火の車であったことに嫌気がさしたから」ということだった。

日本の女子プロ野球は、その後各球団とも次第に企業色が強まり、親会社の社員として午前中は他の社員と同様の業務を行い、午後に練習するというノンプロ化が進んだ。

そして昭和27年までに連盟加入の全球団がノンプロへの移行を完了し、女子プロ野球は2年で終わったというのが、初期の女子プロ野球の歴史だ。

日本女子プロ野球機構

その後、近年になって女性による野球チームも増え、国内、国外ともに様々な大会が開かれるようになっている。

国際野球連盟(IBAF)による女子野球ワールドカップは2年に1回開かれ、日本チーム(マドンナジャパン)は直近の大会で3連覇している。

2010年からは、日本女子プロ野球機構(JWBL)のリーグ戦が始まり、2013年には関東にも球団が生まれている。

JWBLのホームページには、リーグ戦での「好プレー集」などが映像で紹介されているが、それを見るとかなりの技術レベルであることがわかる。

戦後間もなくのころには、女性が野球をやる環境など無かったし、したがって練習する機会もなかった。

姉の場合は「選手の募集を知り、テストの前日にバットスイングを教わって臨んだところ見事合格」ということだから、今の女子プロ野球のレベルとは比べ物にならなかったはずだ。

発足当初の女子プロ野球

今や、レスリング、ボクシング、サッカー、重量挙げ、等々、かつては女性がすることが考えられなかったスポーツに女性選手が生まれる時代になった。

そして、いくつかのスポーツでは女性のプロ選手も誕生し、プロスポーツとして人気を集めているものも少しずつ増えてきている。

そのような女性のプロ選手を生んだスポーツの中でも、野球は有数の古い歴史を持っている。

しかし、その歴史の長さの割には、まだまだ人気も知名度も十分であるとは言い難い。

いつの日か、野茂、松井、佐々木、ダルビッシュ、田中などに負けないに人気と実力を持った選手が、女子プロ野球の世界にも出てくる時代が来るのだろうか。

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プロフィール

め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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