「宗谷」と「そうや」

巡視船「そうや」

8月、釧路港で、巡視船「そうや」に乗船した。

南極観測船として活躍した「宗谷」が退役したあと、その名を引き継いだ海上保安庁の巡視船だ。

船体に書いてある「PLH」というのは、

Patrol Vessel Large With Helicopter の略。

ヘリコプター搭載の大型巡視船ということ。

全長は98.6m、先代の「宗谷」の83.3mより15メートルも長い。

一般公開

所属は釧路海上保安部で、「釧路みなと祭り」に合わせて一般に公開された。

実際に乗船した感じも、先代の「宗谷」より、一回り大きいという印象だった。

この「そうや」の竣工は、先代の「宗谷」が退役したのと同じ1978年(昭和53年)だから、すでに35年も就役している。

3年前の2010年には改装工事を終え、2025年まで現役の巡視船として活動することになっている。

南極観測船「宗谷」

こちらはお台場の海に係留されている、南極観測船として活躍した先代の「宗谷」。

2年前に「船の科学館」が公開を休止した後も、無料で内部が公開されている。

この「宗谷」も、1962年(昭和37)に南極観測船の任を「ふじ」に譲った後は、北海道に配備され、海保の巡視船として、退役までの16年間活躍した。 

氷の海が活動場所

「そうや」が活躍する場所は、北の海。

先代を上回る砕氷能力を持っている。

2011年の東日本大震災では、津波被害に遭った「釜石海保」の現地対策本部としても運用されたという。

休養室

ここは「そうや」の乗組員が、会議や研修、食事をする場所。

テレビが見える。

広い北洋海域での活動中は、日本の衛星放送を受信することが多いと、乗組員の人は話していた。

「宗谷」の休養室

こちらは、先代「宗谷」の休養室。

「そうや」と雰囲気は、よく似ている。

しかし「宗谷の頃は、まだ衛星放送ははじまっていなかったし、国境の海の環境は厳しいものがあった。

私が釧路で暮らしていた昭和40年代は、ソビエト(当時)の主張する領海内に入ったとして、日本漁船が銃撃を受けたり、拿捕されるという事件が頻繁に起こっていた。

最近では、そうした事件は当時と比べると少なくなっているとはいえ、厳しい国境の海が、目の前に広がっていることは変わりがない。

搭載ヘリ

近ごろは、日本の南の海でも緊張が高まり、海上保安庁の巡視船が、国境警備の第一線で対応している。

今年8月4日の産経新聞の記事によると、

「尖閣諸島や東日本大震災で派遣された職員に、強いストレス症状がみられる例が相次ぐ」という。

尖閣でのストレスは「一触即発」の怖さだろうというのは想像がつく。

東日本大震災では、住民が流される様子を上から見たヘリの操縦士が「何もできなかった」と自責の念を訴える例もあったという。

こうした報道に触れると、改めて大変な仕事だと感じる。

旧「宗谷」の落書き

これは、南極観測船だった「宗谷」の居室の壁に書かれた言葉。

「宗谷」が退役の際に、乗組員が書いたものだろう。

この”ねぎらいの言葉”は、今の「そうや」にも、

そして、海保の他の船たちと、その乗組員の皆さんに、改めてお送りしたい気がする。

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プロフィール

め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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