年の瀬~御徒町から秋葉原へ


築地でアグロのあら

12月29日になると、都心は殆んどのところで人影が少なくなる。

年の瀬にかけて賑わう町を走ろうと、築地~御徒町~秋葉原というコースを走ることにした。

これは、築地の場外市場で撮った写真。場外市場は、人ごみと物売りの声で活気にあふれていた。

道路沿いに置かれていた解体したマグロのあらを、子供が覗きこむ様にして見ていた。

マグロの頭には、「MEXICO」と書いたシールが貼られていた。

厩橋から御徒町へ

築地から勝鬨橋を渡って隅田川の左岸を北上。

厩橋から西に進み、御徒町を目指すが、橋のたもとにあった地図に「斎藤茂吉」の歌碑があると知り、訪ねることにした。

先日、青山霊園で茂吉の墓を見つけ、このブログでも紹介した歌人だ。

茂吉の歌碑

台東区三筋2丁目の「三筋老人福祉館」の入り口に碑はあった。
福祉館に出入りする人もなく、あたりはひっそりとしていて、碑のそばには、こんな説明が書かれていた。


 斉藤茂吉は、明治・大正・昭和にわたり、日本近代文学史上に偉大なる足跡を残したアララギ派の歌人で、医学者でもあった。

 山形県に生れ、明治29年(1896)、15歳のときに上京、浅草区東三筋町54番地、養父斉藤紀一方に寄寓し、開成中学・一高・東京大学医学部を経て、長崎医学専門学校教授となり、更に文部省在外研究員として欧州に研鑚。

その後、青山脳病院長となり、作歌の傍ら、研究・評論・随筆など独自の業績をあげ、(中略)昭和26年(1951)文化勲章を授与され、昭和28年(1953)2月25日、70年9か月の生涯を終えた。
 
因みにこの三筋町は、茂吉が、第二の故郷として、夢多き少年時代を過し、生涯懐しんだところで、短歌は、長崎在住のときに当時を回想し、詠んだものである。
 
また茂吉の「三筋町界隈」という文章には、こんなエピソードも書かれていた。

”まえにもちょっと触れたが、上京した時私の春機は目ざめかかっていていまだ目ざめてはいなかった。
今は既に七十の齢を幾つか越したが、やをという女中がいる。
私の上京当時はまだ三十幾つかであっただろう。「東京ではお餅のことをオカチンといいます」と私に教えた女中である。その女中が私を、ある夜銭湯に連れて行った。

そうすると浴場には皆女ばかりいる。年寄りもいるけれども、綺麗な娘が沢山にいる。私は故知らず胸の躍るような気持になったようにもおぼえているが、実際はまだそうではなかったかも知れない。

女ばかりだとおもったのはこれは女湯であった。後でそのことが分かり、女中は母に叱られて私は二たび女湯に入ることが出来ずにしまった。私はただ一度の女湯入りを追憶して愛惜したこともある。

今度もこの随筆から棄すてようか棄てまいかと迷ったが、棄てるには惜しい甘味がいまだ残っている”

アメ横は歩けないほど

次に向かったのは、御徒町の「アメ横」。

地名の由来についてウィキペディアには次のように書かれている。

「戦後、闇市となり様々な物品が売られており、特に飴を売りさばく店が当時200軒以上あった事から『アメヤ横丁』と呼ばれ、それが略され「アメ横」と呼ばれることが多くなった。
現在でも、アメヤ横丁問屋街には、飴などの菓子類を売る店も存在している」

私はアメリカと関係があるのかなと思っていたが、違ったようだ。

例年、この時期のアメ横は大変な混雑ぶり、今年も混み合っているだろうと思っていたが、やはり予想通りだった。

まさに、歩くのもままならないほどの人の波だった。

人ごみの中に入る気にもなれず、横目で見ながら秋葉原を目指して走り続けた。

秋葉原

秋葉原は、世界一の電気街だけに多くの買い物客でにぎわっていた。
相変わらず、外国人の姿も多かった。

私も、安く電気製品を手に入れようと、秋葉原をたびたび訪れている。

そして今、秋葉原には安くて豊富な電気製品のほかに、もう一つ有名なものがある。

それは、

横断禁止

車道沿いにある「横断禁止」の看板にも、メイドカフェのキャラクター。

さすがに「横断しちゃダメだよ」のあとに「ご主人様」とは書いてはいなかったが。

眼鏡屋さんで

メモリーカードを買おうと裏通りに入ると、「メイドがお見立てする眼鏡屋」という看板があった。

中を覗くと、メイドの格好をした店員が、お客の応対をしていた。

このお店のそばでは、メイドカフェで働く女性が何人も、寒空の中、通りがかりの人に来店を呼びかけていた。

何故か、「マッチ売りの少女」の話を思い出した。

東京タワー

家のそばまで来ると、東京タワーに「2012」の数字が表示されていた。

いよいよ、今年も残り少なくなった。

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プロフィール

め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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