「江戸川競艇場」があったのは、荒川のすぐ近くだった

ボートレース江戸川

私のお気に入りのジョギングコースの途中に、江戸川競艇場(ボートレース江戸川)がある。

名前からすると、江戸川の流域にあるのかと思っていたが、なんと荒川のすぐ近くにあった。

地図で見ると

これが、最近よく走るジョギングコースの地図。真ん中を流れる太い水色で描かれた川が荒川。

このあたりは、隅田川を洪水から守るために明治末から20年かけて開削された人工河川、いわゆる荒川放水路にあたる。

その右側の細い流れは中川。
古くからの流れで、荒川放水路はこの中川の河口に向けて開削された。

地図の下の方が、河口にあたる。地図の左側が江東区、その対岸が江戸川区だ。

江戸川競艇場(ボートレース江戸川)は、写真の右上のところにある。

(赤い線は、ある日のジョギングの軌跡で、全部でおよそ10キロほどの距離になる)

この地図の下流に架かる橋は、「葛西橋」。

葛西橋を江戸川区側に向けて渡る

葛西橋を荒川区から江戸川区に向かって走る。

すると、前方に高架の高速道路が見えてくる。

実は、高速道路は、荒川放水路と中川の間にある堤(つつみ)の上に建設されている。

近くに行って見ると、こんな具合だ。

高速道路の下

この高速道路は、都心から北に向かう基幹道路だから利用された方も多いことだろう。

左側が荒川放水路で、右が中川。

河口から2キロ地点

河口から2キロ地点に案内板が立っていた。遠くにはスカイツリーも見える。

この付近の堤は中堤(なかてい)といって、現在、堤を高くしてより水害に強くするための工事をしている。

写真右手方向が上流になる。

ここから上流20キロの北区・岩淵に水門があり、荒川は、そこから隅田川と荒川放水路とに分かれている。

洪水の危険がある時には岩淵水門を閉じて、水を荒川放水路から一気に東京湾に流し、隅田川流域の水害を防ごうというものだ。

荒川放水路

荒川放水路は全長が22キロというからハーフマラソンの距離、幅は500メートルもある。

実際の流れに沿って走ってみると、その工事の規模の大きさに圧倒される。

ボートレース

そして、高速道路の下を北上すると、右手に「ボートレース江戸川」のレース場が見えてくる。

タイトルでも紹介したが、この水面は江戸川ではない。
ただ地番でいえば江戸川区にあるから、誤りと云うわけでもないが。

この競艇コースは河川の水面を利用したもので、日本で唯一なのだという。

満干潮や強風の影響もあって、レーサーにとっては操船技術が難しいコースだと、ウィキペディアに書かれていた。

別の日にここを通った際、運搬船がこの水面を通過していったから、レース開催にあたっては水上交通のコントロールも、手間がかかりそうだ。

競艇場内

写真を撮ったこの日は平日の午後、お客の数はそれほど多くなかった。

冬ということもあって、建物の中から観戦しているのだろうか。

家に帰り、いわゆる公営ギャンブルの最近の売り上げはどうなっているのか、調べてみた。

平成21年の売り上げは 

中央競馬が約2兆5900億円、次いで競艇が9200億円、競輪7200億円、地方競馬3600億円、オートレース970億円。

いわゆる公営ギャンブルの中では、競艇の売上高が2番目だから、ファンの数もそれなりに多いのだろう。

ところが、公営ギャンブルの売り上げはいずれも右肩下がり、平成初期のピーク時に比べて、競艇は42パーセントに落ち込んでいる。
(競輪と地方競馬は37パーセントとさらに大きく減少、中央競馬は65%)

この「ボートレース江戸川」を主催・運営しているのは、八王子、武蔵野、昭島、調布、町田、小金井の6つの市から成る競艇事業組合。

この場所から遠く離れた東京都下の市が運営にかかわっていることが、すこし不思議な気もした。

組合規約を見ると、「必要経費を除いた収益を6市に配分する」とある。

高齢化が進み、何かと行政経費が増加する昨今にあって、市にとってみれば貴重な収入源であるに違いない。

ところが、右肩下がりの売り上げの低迷、これからも一部の自治体の財政を支えてゆくことができるのかどうか。

台場や沖縄などにカジノを作る計画などもあり、公営ギャンブルを巡る環境もこれから大きく変わってゆきそうだ。
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馬込文士村

村岡花子が暮らしたまち

先日、大田区南馬込の商店街で見かけたのぼり旗。

この幟で、NHKの朝ドラ「花子とアン」のヒロイン・村岡花子が暮らした街であると知った。

馬込は大正の頃から、数多くの作家たちが暮らした所として知られている。

地図・馬込文士村

今から5年ほど前、その「馬込文士村」一帯を走り、著名作家の旧居跡を訪ねたことがあった。

この地図は、当時、JR大森駅前に立っていたもの。

石坂洋次郎、川端康成、萩原朔太郎などの名前が見えるが、まだ「村岡花子」の名前は見えない。

川端康成旧居跡

これは、ノーベル文学賞を受賞した川端康成の旧居跡に建っていた案内板。

「人生劇場」で知られる尾崎士郎の誘いで馬込に移り住んだと書かれている。

”無口で人付き合いの苦手な性格だったが、文士たちが多く住んでいたので、尾崎たちの訪問をたびたび受けた”
とも紹介されている。

先日、”花子を語るトークイベント”が大田区で開かれ、テレビでその様子が紹介されていた。

その時のゲストの1人・花子の孫で作家の村岡恵理さんは、大田区長との対談の中でこんな話をしていた。

”花子が暮らすようになった当時、大森海岸の埋め立ても進んでおらず、近くに海水浴場もあった。

川端康成も誘った尾崎士郎が「大森は暖かいからいいぞ、皆おいで」と作家たちに声をかけた”のだという。

もっとも、花子がこの地に暮らすようになったのは、花子のご主人の印刷会社が横浜と銀座にあって、交通の便がよかったこと、

花子が尊敬していた歌人の片山廣子が馬込に住んでいたこと、等の理由が大きかったと話している。

尾崎士郎

尾崎士郎の旧居跡に建っていた案内板。

”彼は人に愛されすぎるのが唯一の欠点ともいえる男で、馬込にやってきた文士たちがかわるがわる訪ねてくる。

そして文士村の出来事はたちまち彼の書斎に集まり、そして村中に伝わり、彼には「馬込放送局」との呼び名がついた”と書かれている。

宇野千代の紹介

そして、当時、尾崎士郎と一緒に暮らしていたのが、恋多き人・宇野千代。

はじめて稼いだ原稿料で、農家のわらぶき納屋を改造した家を建てた ことが紹介されている。

宇野千代は、その後、東郷青児、北原武夫といった人たちと恋の遍歴を重ねる。

ウィキペディアには、

「結婚、離婚を繰り返すたびに家を建て替え、数えてみると11軒になった」とのエピソードが紹介されている。

この場所が、「何かというと家を建てたくなる彼女の癖のはじまりでした」と、案内板に書かれてあった。

尾崎・宇野邸跡付近

そして、ここが尾崎士郎・宇野千代の旧居があった付近。

当時、このあたりが大根畑であったという面影は全くない。

文士村を紹介するサイトを見ると、

馬込文士村には、そのほか

北原白秋、高見順、三島由紀夫、三好達治、山本周五郎 等々日本文学史にその名を遺した数々の作家たちが暮らしていたとのこと。

5年前、大森駅前の地図にはそんな作家たちのことは紹介されていなかった。

村岡花子の人気で馬込文士村が改めて注目される今、

文士村ゆかりの作家たちの情報を充実させてくれれば、再び訪ねたいと思うのは私だけではないだろう。

旧中山道で見かけた風景 ②「縁切り榎」

縁切り榎

旧中山道・板橋宿の街道沿いに、「史跡 縁切榎」と書かれた小さな社を見かけた。

案内板

近くに寄ってみると、案内板があった。それによると

江戸時代、道をはさんだ向かい側に旗本の屋敷があり、垣根際に榎の古木があった。

榎はいつの頃からか「縁切榎」と呼ばれ、嫁入りの際には、縁が薄くなるのを恐れてその下を通らなかったという。

幕末、公武合体の思惑から、14代徳川将軍家茂の正室となった皇女和宮は、中山道を通って江戸に下向した。

その際、この縁切榎を避け、およそ1キロの道のりの迂回路を作ったとのことだ。

ちなみに、
「その時の一行の行列は、警護や人足を含めると総勢3万人、沿道は住民の外出・商売が禁じられ、犬猫は鳴き声が聞こえない奥につなぐこととされた」等が、ウィキペディアには書かれている。

どんな小さいことであれ不測・不吉の事態が起きないように、様々なことに気を回していたことが窺われる。

縁切榎も、大きな心配事の一つだったということだ。

絵馬が並ぶ

小さな祠までの短い参道に足を踏み入れると、その左右に、「縁切り」の願を書いた絵馬が沢山並んでいた。

中味は、「良縁に恵まれますように」という一般的なものから、具体名を書いた深刻なものまで様々だった。

無謀な上司と多い仕事

「あまりにも無謀な上司と、あまりにも多い量の仕事から縁が切れますように」とある。

余りにも無謀な上司というのは、一体どんな上司なのか不明だが、世にいう労基法に違反するブラック企業で働いている人なのかもしれない。

離婚できますように

こちらは、妻と円満に早急に離婚できますようにという絵馬。

「お互いの思いが消え、互いに次のステップを踏めますように」という願いは、他人事ながら寂しくなってしまう。

ネットで誹謗する人

「ネットでの誹謗中傷に悩む」というのは、まさにいまどきの社会ならではの悩みといえるかも。

セクハラおやじ

絵馬に書かれた願いは実に様々。

中には、深刻なストーカー被害に遭っている人からの絵馬もあるかもしれない。

ストーカーによる不幸な事件のニュースに接するたびに、「神頼み」では、根本的な解決にならないことを感じさせられる。

絵馬の奉納者がストーカー被害に遭わないことを願うばかりだ。

老犬の介護

「縁切榎」を後にして、旧街道を走っているとこんな看板が目に留まった。

「老犬を介護します」というお店の看板だ。

世の中には、愛犬と人間以上に深い縁を結ぶ人もいる。

決して少数ではない。

「縁切榎」の絵馬と違って、この看板の裏には、「濃密な縁でむすばれた人と犬」の関係が見えてくる。

全ての人が、いとしい愛犬・愛猫に接するように他人と接すれば、「縁切榎」にお参りする必要もなくなりそうだ。

しかし、それができないのが人間なのだろう。少し、寂しいことだが。

江戸の昔から今日まで、この小さな社が人々の思いを受け止めてきた歴史がそのことを物語っている。



旧中山道で見かけた風景 ①巨大なセミ


北区滝野川で見かけた建物

再び、旧中山道を走った。

ここは北区滝野川、旧中山道の両側に商店が立ち並んでいる。

都心の方に向かって走っていると、左手に洋風の建物が見えた。

そして、建物の前にある木に巨大なセミが止まっているのに気づいた。

セミは作り物

近づいてみると、大きなセミは針金で木にくくりつけられていた。

全長は40~50センチもあるから、さすがに作り物であることは分かったが、存在感は強烈だ。

亀の子束子の製造元

そして建物の正面、入り口横には
「株式会社 亀の子束子(たわし)西尾商店」と書いてあった。

ここが、あの有名な「亀の子束子」の製造販売元だったのか。

お盆で、会社の様子を見ることができなかったのは残念だった。

会社のホームページを見ると、創業は明治40年というから、今年で107年にもなる老舗だ。

亀の子束子

家に帰って我が家の流しを見ると、亀の子束子が複数あった。

化学繊維製の束子が登場する中で、今なお多くの人たちから支持されている。
ロングセラー・長寿商品を代表する商品の一つだ。

現在使っている束子の原料は、外国産ココナッツ椰子から採った繊維だという。

作り方は簡単。

ホームページによれば、

裁断した椰子の繊維を二本の針金の間にはさむ。

そして、針金をよじり、回転させながら繊維を固定する。

繊維を刈り込んで長さを揃えた後、亀の甲羅のように形作れば完成。

蝉のアップ

セミに近づいて見ると、なるほど、亀の子束子の素材で作られている。

昨今はキャラクターが全国的にブームになっているから、「このセミを亀の子束子のPRキャラクターに使ってもも面白いのに」と思った。

顔は、もう少し可愛くした方がいいかも。

棕櫚の木があった

初代が亀の子束子を開発した当時、原料として使っていたのは国内産の棕櫚(シュロ)とのこと。

つまり、国内で生息するヤシ科植物の繊維を利用していた。

建物に向かって左サイドに、その棕櫚が植えられていた。

葉の下の幹に、暗褐色の繊維質が見える。
これがシュロ皮。

腐りにくく、伸縮性に富み、環境にも優しい。

これが、今も多くの人たちが愛用されている理由とのことだ。

走っていて、こうした風景に出会うと楽しい。

巨大なセミのアピール力・吸引力は、極めて強力だった。

こんな「クルマたち」と出会った

波除稲荷の例大祭

築地市場の隣りにある波除稲荷神社は、ちょうど今、例大祭の真っ最中。

6月6日から10日まで「つきじ獅子祭」が開かれていて、

8日の日曜日には、場外市場は沢山の買い物客に加えて、半纏姿の人たちで混み合っていた。

大きな獅子頭をのせた独特の神輿の前で、担ぎ手たちが記念写真を撮っていた。

場外市場で見かけた自転車

これは、同じ波除通りで、それより数日前に撮った写真。

場外市場はいつも早朝から賑わうが、その分店じまいする時間も早い。

夕方5時くらいになると、通りから人影は殆んど無くなってしまう。

この日、無人となった波除通りで、ちょっと珍しい自転車と出会った。

ハンドルと前輪の間がずいぶん離れていて、ハンドルの前に荷物を置くスペースがある。

なかなか格好も面白い。

「BULLITT」と書いてあるのを手掛かりに、家に帰って調べてみた。

ネットを見ると「BULLITT」はデンマーク製のカーゴバイクとある。つまり運搬用の自転車ということだろう。

なんと、100キロまでの荷物が詰めるという。

荷台の部分にボックスを置いて子供を乗せる人や、音響システム一式をのせ街角で歌うパフォーマー等の紹介映像もネットにあった。

値段は、モデルにもよるが30万円~40万円もするとのことだから、かなり高価だ。

荷台の箱の文字を手掛かりに持ち主を調べると、場外市場の海苔屋さんだと分かった。

ご主人は場外市場では知られた人のようで
「この自転車に乗っていると、1日3人ぐらいに声をかけられる」とのこと。

声をかけられた人には、「自転車乗りの海苔屋さん」とのダジャレでPRするとのことで、商売にも生かしていることが窺えた。

ここは東南アジアか?

次に紹介するのは、このクルマ。

思わず「ここは東南アジアか」と錯覚してしまいそうになる。

信号で止まった所でカメラを向けると、にっこり笑ってくれた。

冬だと風が冷たく感じそうだが、これから夏場にかけては、涼しくて気持ちよさそうだ。

そして、このクルマを見ていると、子供のころ見た三輪トラックを思い出す。

これも三輪車だ。

なんとなく懐かしく感じるのは、そのせいなのだろう。

珍しいリムジン

ダックスフンドのように胴の長いリムジン。

乗用車タイプの上品なものなら、見かけることも多い。

しかし、このクルマのように野性的でスポーティなリムジンは、あまり見たことがない。

調べてみると、ネット上でリムジンを貸切チャーターしている会社のホームページを見かけた。

その中で、これと同じものなのかどうかは不明だが、

「ハマーH2」というSUV車のリムジンがあって、形は良く似ていた。

それによれば、全長は8.69mで、後部座席の定員は8名。

料金は1時間4万2千円と書いてあった。

内部のカラーは赤で統一され、ワインを楽しむカウンターもついていた。

繰り返すが、このクルマがネットの中で見たチャーターリムジンなのかはわからない。

この他にも、リムジンのチャーター営業する会社があり、ホームページをのぞくと、

「セレブ女子会レンタルプラン」などというコースもあり、こちらの料金は60分で2万9800円だった。

バブルのころを思い出すようだ。

「デフレ経済からの脱却」を大きな目標にするアベノミクス、そして日本経済。

リムジンを見かける頻度と経済との間に、果たして相関関係があるのかどうか。

かつて経験した活気ある経済社会が再び戻って来てほしいが、果たしてどうなることでしょうか。



プロフィール

め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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