「桜満開」と発表されたけれど

月島、西中橋のたもと

4月2日、気象庁は「東京の桜か満開になった」と発表した。

靖国神社にある標準木で、開花が発表されたのは3月21日。全国で最も早い開花だった。

それから12日、寒い日が続いて、ようやく「満開」と発表されたが、私の周辺にあるソメイヨシノを見ると満開には程遠い状態。

そこで、カメラをもって隅田川下流を走ってみた。

ここは中央区の月島。

月島川のたもとにある桜は、まだ3分咲き程度。画面奥にある水門の先は隅田川だ。

「月島の渡し」の碑がある公園

墨田川左岸の「月島の渡し」の碑がある公園の桜は満開に近かった。

柳の緑とのコントラストが美しい。

隅田川の岸の桜

隅田川左岸のテラスに出た。

左に見える聖路加病院の下は桜並木が続いているが、まだ花の色は見えない。

つくだ煮屋さんの横の桜

名物の「佃煮」を売る店の横に、劇作家の北条秀司の句碑が立っている。

「雪降れば 佃は古き 江戸の島」

碑の横で咲く桜は、緋寒桜の系統のようだ。

早咲きの品種だと思ったが、まだ3分程度の開花だ。

石川島では花見の宴も

佃の隣、石川島に入る。

石川島播磨重工、現在のIHIの発祥の地でもあり、また鬼平犯科帳の長谷川平蔵が、この島に「授産施設」を作ることを進言したことでも知られる。

開花はまだ2~3分程度だが、木の下では、花見の宴が開かれていた。

中央大橋から石川島の桜を見る

中央大橋を渡って、隅田川の右岸に向かう途中、同じ石川島の桜を撮ってみた。

隅田川には「上り下りのふなびと」たちが行き来しているのだが、「春のうらら」とはいかない景色が広がっていた。

今年は、靖国神社だけに、春が一足早くやってきたのだろう。

桜の見ごろは、もう少し先になりそうだ。
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マラソン大会真っ盛りの中で

危機期京都マラソンを走る山中伸弥さん

京都マラソンは次の日曜日に行われる。

大会事務局から私に送られてきた参加案内の中に、ノーベル賞受賞者の山中伸弥さんも、このマラソンを走るとのチラシが入っていた。

多くの難病患者に希望を届けるための「IPS細胞研究基金」に、協力を呼びかけるためだという。

「非正規雇用が9割の研究所員の長期雇用等に役立てたい」と書かれている。

日々、忙しい毎日の中で、マラソンに向けて練習を積んでいるだろうことを想像すると、頭が下がる思いがする。

実は、山中教授のマラソンの持ちタイムはかなりのものだ。

去年10月の大阪マラソンでは、「3時間42分58秒で完走し、自己ベストを更新」したとの記事を読んだ。

54歳で、このタイムで走れるのはすごいし、マラソンを走って社会に募金を呼びかける取り組みも素晴らしいと思う。

山中さんと、同じ日に同じコースを走るのを楽しみにしていたが、ひざのケガが完治せず棄権することにした。
とても残念だ。

私としては、これで去年2月の姫路城マラソンに続いての棄権となってしまった。

次のマラソンシーズンは、今年の晩秋だが、それまでにはひざを直し、マラソンを走れるように鍛えたいものだ。

河津桜が満開

マラソンに参加するため、大会の直前までトレーニングをしてきた。

2月13日、レインボーブリッジを渡ってお台場まで往復した。

歩くのと同じほどのゆっくりしたペースでレインボーを渡り終えると、橋のたもとに植えられている河津桜が目に入った。

すでに満開になっていた。

海浜公園の春

今年も立春を過ぎてから、各地で真冬の寒さが続いている。

今月中旬にかけて、日本海側の各地で大雪となり、特に山陰では記録的な積雪を記録している。

しかしそうした中にあっても、春は着実に近づいてきているは、この写真を見ればよくわかる。

皇居東御苑・二の丸庭園

16日には、皇居東御苑に春を探しに訪れた。

二の丸庭園は、まだ冬の色合いだった。

宮内庁のまとめによれば、去年・2016年の東御苑の入園者は、過去最高の145万人余りに上る。

週5日開園だから、1日当たりの訪問者は約5、600人。

このうち外国人の割合は、4割にも上るという。

ここ二の丸庭園はは6月になると、花菖蒲が見事な花をつけ、たくさんの人で賑わうが、この日は人影はまばらだった。

梅林坂の梅

二の丸庭園の近くの梅林まで足を延ばした。

ここは私が、東御苑の中でも最も気に入っている場所の一つだ。
その名も「梅林坂」という。

今は五分程度の開花で、あと1週間もたてば満開になるだろう。
そうすれば、素晴らしい写真を撮ることができそうだ。

ここでも外国人の姿が目立ったが、日本の花木の美しさを理解し、楽しんでもらいたいなと思った。

メジロかな

梅の花の中に、小鳥の鳴き声が聞こえたので探してみた。

メジロが、ウメの花の中に首を突っ込んで蜜を吸っては、花を渡り歩いていた。

花びらを揺らし、チチチッと泣きながら次の花に移っていく。

「花より団子」に夢中のメジロ、
その姿を、また来週、見に来よう。





「桜」の後は「なんじゃもんじゃとハナミズキ」

小名木川近くで見かけた「なんじゃもんじゃ」

先日、江東区の小名木川の近く、仙台堀公園の入り口で、

雪が降り積もったように、白い花をたくさんつけている木を見かけた。

遠目にも華やかで、とても目立つ木だった。

根元に木の名前を書いたプレートがあり、「ヒトツバタゴ 別名なんじゃもんじゃ」と書いてあった。

「なるほど、これがなんじゃもんじゃの木か」と、去年の秋、神宮外苑見でかけた「石碑」を思い浮かべた。

絵画館

神宮球場の近くにある「聖徳記念絵画館」。

明治天皇の事績を紹介する絵画が展示されている施設で、その正面入り口に向かって右側の植え込みの中に、次のような石碑が残されている。

ヒトツバタゴの碑

江戸時代、この付近に”「別名なんじゃもんじゃ」と呼ばれるヒトツバタゴの名木があった”と書かれている。

明治神宮のホームページには、この木について次のように述べられている。

「なんじゃもんじゃ」とは、正体不明の木のことで、

江戸の昔、六道が交差する「青山六道の辻」にあった名前不詳の木がそのように呼ばれたという(別名 六道木とも言われた)。

ヒトツバタゴ

この木の正式な名前は「ヒトツバタゴ」、モクセイカ科の落葉高木で、五月に雪のような白い清楚な花を咲かせる。

ヒトツバタゴとは、一つ葉のタゴという意味で、タゴとはトネリコのことだという。

江戸の昔から有名だったその木は大正13年に天然記念物に指定されたが、昭和8年に枯死してしまった。

ここ外苑の聖徳絵画館前には、根接法により1代目の木から得たものを昭和9年に植え継がれたとされる2代目の木があった。

しかし、その木も木も枯れてしまって今はない。

だが、この写真を撮った時に公園を管理している人に聞くと、

なんじゃもんじゃの木は、この碑の近くの外苑や明治神宮の内苑にも植えられていて、5月になるとみごとな白い花を咲かせると話していた。

神宮外苑、内苑にある「なんじゃもんじゃ」も、今頃、きっと見ごろを迎えていることだろう。

代々木公園のハナミズキ

こちらは、代々木公園で見かけた「ハナミズキ」。

桜のあとを受けて、 華やかに咲き誇っていた。

アメリカからのへお返し

近づくと、木のそばに、こんなプレートが立っていた。

「米国から日本の皆様への贈り物」と書いてある。

ハナミズキは、1912年(大正元年)、当時の東京市長・尾崎行雄がアメリカに送り、ワシントンのポトマック河畔に植えられた桜のお礼として、日本にやってきた植物と聞いたことがある。

このハナミズキはまだ若い木だ。

その背景にどんなことがあるのか、調べてみた。

東京タワーの見える公園で

ここは、東京タワーを写す絶景ポイント。

左には「なんじゃもんじゃの木」、右のほうには、「ハナミズキ」の若木が見える。

ハナミズキは、今から100年も前に日本にやってきているのに、老木を見かけることは少ない。

どんな経緯があるのか調べてみようと、まず米国大使館のホームページを見てみた。

そこには、こんなふうに書いてあった。

”日本からのサクラ寄贈から100周年を迎えるのを記念し、米国政府と日米交流財団が共同で設立した官民パートナーシップ「友好の木―ハナミズキ・イニシアチブ」は、米国民からの返礼として3000本のハナミズキを日本に贈ることを決定し、2012年11月16日、そのうち最初の100本を東京都立代々木公園に植樹しました。残りは両国の友好を示す変わらぬシンボルとして、今後3年間かけ、都内のほか、東日本大震災の被災地である東北地方をはじめとする日本各地に植樹する予定です”

この程度のことしか書かれていなかったので、なぜ今、桜への返礼なのかよくわからなかった。

国立代々木体育館のハナミズキ

ネット上でその辺の背景を調べていくと、おぼろげながら次のようなことが分かった。

アメリカに桜の苗が送られてから3年後の1915年(大正4年)、アメリカから感謝のしるしとして日本に届けられたハナミズキの苗は40本。

日比谷公園などに植栽されたが、その後の戦争の中で「敵国の贈り物」として、そのほとんどが所在不明になってしまった。

今からおよそ100年前に日本にやってきたハナミズキのうち、現存するのは、東京・世田谷区の都立園芸高校にある老木のほかにネット上からは確認できなかった。

本郷の東京大学付属小石川植物園にも、その時に送られた老木があったそうだが、今では枯死してしまったとの記述を見つけた。

これまで、都立園芸高校の原木から育成した木が、日比谷公園や、100年前にアメリカに桜を送った関係者のゆかりの地に植えられているとはいえ、花をめぐる日米の交流を物語るものとしては物足りない。

100年前にポトマック河畔に植えられた桜は、全米の名所となり広く知られているが、

ハナミズキの物語は、それと比べて知名度は少ない。

花をめぐる友情の話として、これからの100年をにらんだものなのだろうと思った。

なんじゃもんじゃもあった

桜に続く花暦は、なんじゃもんじゃとハナミズキ。

もう間もなく「立夏」を迎える。

今年の桜

愛宕下 3月31日朝

去年完成した虎ノ門ヒルズなど、高層ビルが林立する港区の愛宕下。

今年の東京の桜の開花は3月21日、例年なら1週間で満開になるのだが、3月31日の朝には、まだ見ごろとはなっていなかった。

夕方満開に近く

しかし、この日の日中には気温が上がり、昼過ぎには都内の桜は満開になり、愛宕下でもようやく見ごろを迎えた。

4月1日代々木

4月1日。代々木公園の国立第一体育館。

昭和39年の東京オリンピックでは水泳競技の会場となった丹下健三設計の名建築。
入口横に立つ桜も満開を迎えていた。

つい先日、この体育館では若い人たちに人気の「東京ガールズコレクション」が開かれたし、この週末には全日本体操選手権が開かれ大勢の人たちでにぎわっていた。

2020年の東京オリンピックでも、ハンドボールの会場に予定されるなど、現役バリバリの体育館だ。

桜が、その美しい建物を一層引き立てていた。

仙台堀の桜

4月2日。

江東区、仙台掘りの桜並木を訪ねた。

実は、ここは以前水運のための運河が開削されていたところだった。

大正から昭和の初めにかけての頃、付近が農村から工業の町として発展してゆく中で、小名木川と結ぶ砂町運河が昭和8年民間の手によって完成した。

しかし、周辺が住宅地へと変貌を遂げてゆくなか、昭和55年には埋め立てられ、今は遊歩道となっている。

懐かしい映画のポスター

遊歩道のかたわらに、昔懐かしい映画のポスターが飾られていた。

どうやら、この遊歩道で練習をしているランナーのクラブが設置したようだ。年配のランナーか多くいることが想像される。

懐かしい嵐寛寿郎、大友柳太朗、市川歌右衛門、片岡千恵蔵の映画だ。

私が小学生の頃、近くには映画館がたくさんあった。

三田の慶応大学の前には、3本建ての大衆向けの映画館があった。確か「三田館」という名前だった。

中村錦之助、東千代之介などで大人気の「紅孔雀」や「笛吹童子」などは立ち見で見た。

三田館では、新東宝が社運を賭けた大作と宣伝していた、嵐寛寿郎主演の「明治天皇と日露戦争」も見た。

そして、前田通子主演の「女真珠王の復讐」という、子供には刺激の強すぎる実録物の映画も、こっそり見た記憶がある。

しかしなんといっても、大友柳太朗、市川歌右衛門、片岡千恵蔵が活躍する東映の時代劇が当時の子供たちに大人気だった。

ちなみに、現在の港区芝2丁目の古川沿いには「芝園館」という東宝の封切館があって、黒澤明の「七人の侍」や「蜘蛛巣城」は、そこで見た。

洋画を見たのは、麻布十番にあった「麻布シネマ」という館名だったか、

ジェリールイスの喜劇や、「世界残酷物語」というドキュメンタリーを見たことを思い出す。

高輪の二本榎の近くにも映画館があって、大映の人気シリーズだった三益愛子主演の母物は、母や姉に連れられて見た。

泣かせる映画で、母や姉は涙して見ていた。

こうして、あの頃は映画が最大の娯楽だったから、当時の銀幕のスターは忘れようにも忘れられない。

あれから半世紀たった今、こうした大スターたちの当時の活躍ぶりを知る人たちも少なくなった。

現在の日航の社長が、あの片岡千恵蔵のご子息であることや、北大路欣也が市川歌右衛門の子息というのを知らない人たちだって多いはず。

だから、こんなことを言ってもなんとも感じない方もいると思うが、私にとっては「へえーっ!」と思うことが先日あった。

石田波郷

石田波郷という俳人がいた。

戦後まもなく、江東区に住み、下町の暮らしの中で句作を続け、昭和44年には句集「酒中花」で芸術選奨文部大臣賞を受賞している。

石田波郷の句碑

昭和32年、読売新聞・地方版に「江東歳時記」の連載をはじめ、江東地域の人たちの生活を俳人の視点から描写、

暮らしを見つめた記述と俳句から、当時の世相がよみがえる。

そして今、私が暮らす江東区には多くの波郷の句碑がたてられている。

その石田波郷に俳句を勧めたのが、ほかならぬ大友柳太朗だった。

大友柳太朗が同級生

江東区北砂の砂町文化センターにある「石田波郷記念館」で、こんな記述を見つけた。

波郷と大友柳太朗は、旧制松山中学(現在の松山東高校、2014年の選抜高校野球に21世紀枠で出場し、評判となった)の同級生。

あの正岡子規も学び、夏目漱石が教鞭をとった中学での出会いだった。

大友柳太朗のあの独特のセリフ回しで、石田波郷に俳句を勧める場面を想像してみる。

ちょっとした青春ストーリーが出来上がりそうだ。

なお、大友柳太朗本人も句作を続け、ウィキペディアによれば

「1980年に出版された歌集『昭和万葉集』(講談社)には大友の歌が4首収録されている」と記されている。

皇居乾通りの桜の公開

4月3日、今年も皇居「乾通り」の桜が一般公開された。

寒さで開花が遅れたため、当初の予定を延長して、この日が今年の最終日。

あいにくの雨と寒さで、ちょっと残念だったが、桜はどんな天候でも美しい。

山吹の花

途中、黄色い花が咲いていて、連れが「山吹の花」と教えてくれた。

太田道灌ゆかりの花ということで、なぜかうれしかった。

自生しているのではなく育てているのだと思ったが、どうなのだろう。

年年歳歳花相似たり

乾通りには、たくさんの人がカメラを持って詰めかけていた。

そして通りに沿ってたくさんの警察官が立っているので、どこを撮影しても警察官が写り込んでしまう。

この写真の周囲には、実は多くの人たちがいるのだが、とても静かな風景に仕上がった。

命の継承

近くの公園で、桜の横に一本の朽ち木を見つけた。

幹からは、新しい命が芽吹いて上に向かって伸びていた。

年年歳歳花相似  毎年花は同じように咲く

歳歳年年人不同  しかし人間は毎年毎年同じではない。

とはいえ、命の継承を繰り返しているのは人だけではなく、花も同じだった。


 こうして古希を迎えようとする今、”桜を見る自分は、去年の自分ではない”と再び教えられる。

桜を見るということは、そういうことなのだろう。

「大寒は春の始まり」~鷽(うそ)替えの神事

都心の大雪

24節気の「大寒」の頃は、一年で一番寒い時期だ。今年は1月21日だった。

24節気は、一年・12か月を24に分けた季節の指標だから、半月つまり15日ごとに節気が変わってゆく。

大寒の次の節気は2月初旬の「立春」だから、春の始まりはもうすぐだ。

その大寒が近づく1月18日、東京都心に大雪が降った。

この写真は、18日午前6時前の渋谷。人通りも少なく、短靴が雪に埋まるほどの積雪だった。

この後、交通機関は間引き運転したため、朝の通勤時は大混乱。

輸送力の大幅な低下で通勤客が駅の周辺にあふれる様子が、都内の各地で見られた。

荒川でシジミ漁?

そして、こちらは先日、荒川で撮影したもの。

河口から3キロほど遡上した地点で、何隻もの漁船が、真冬の寒さの中、漁を続けていた。

ネットで調べると、どうやら「寒シジミ漁」のようだ。

寒中の風物詩の一つといえるのだろう。

亀戸天満宮

そして、こちらもこの時期の風物詩。

天神様の「鷽(ウソ)替えの神事」。

1月24日に、亀戸天満宮を訪ねた。

鷽

これが鷽。スズメ科の鳥で、春に桜の花やつぼみを食べている姿を見かけたことがある。

ウィキペディアによれば、鷽の字が學の字と似ることから、学問の神様・天神様とのつながりが深いと考えられているという。

「鷽替えの神事」というのは、木彫りの鷽を神社で買い求め、昨年購入した鷽の木彫を神社に納めるという行事だ。

亀戸天満宮のホームページには

「鷽は幸運を招く鳥とされ、毎年新しい鷽鳥に替えると、今までの悪しきこともウソになり、一年の吉兆を招く」と書かれている。

本殿前の梅

本殿の前の梅は、まだごく一部しか開花していなかった。

受験シーズンとあって、梅の下に掲げられた合格祈願の絵馬は、満員電車のように込み合っている。

横のテントは長い列

本殿横のテントには、木彫りの鷽を求める人たちが長い列を作っていた。

鷽のお守り

「うそ守り」「うそ土鈴」等々。

お守りとしてはたいへんユニークなネーミングだが

社務所にも多くの人が列を作っていた。

船橋屋のくずもち

帰りには、船橋屋の「くずもち」を買う。

創業は文化2年(1805)とのことだから、211年もの長い間、亀戸天満宮の名物として親しまれてきた。

たぶん、「ウソのない商い」を続けてきたから、ここまで長い歴史を歩んできたのだろうと思い、家に帰ってから家族で食した。

怪しいポスター

そして、こちらは浜松町の近くで、最近見かけたポスター。

何か、怪しい感じはしませんか。

「超ハイクラスなご婦人の日常生活のサポートで、高収入可能」と書いてある。

早速調べてみる。

案の定、「入会金を払った後、連絡が取れなくなった」などという被害が寄せられているという。

”悪しきことをウソとする幸運の鷽ではない「たちの悪いウソ」が、私たちの身の回りにはたくさんある”ということを

 どうぞお忘れなく。




プロフィール

め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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