ハナショウブの季節



アクアボード

5月26日。お台場海浜公園。

初めて見る光景が広がっていた。

噴射装置の付いたボードに乗って、人が空に浮いていた。

こんなふうに回転したり

時折、こんなふうに回転したりする。

あとで調べると、これはアクアボードと呼ばれる新しい水上スポーツだった。

この夜、この場所で開かれた「未来型花火エンターテインメント」と銘打った有料イベントに参加するイベントの一つで、パフォーマーが練習をしていたのだった。

新しい技術が生まれると、それに伴って新しいスポーツがどんどん生まれてくる。

まさに「遊びをせむとや生まれけむ」だ。

初夏の空

6月5日。
東京港では夏空が広がっていた。

まだ、梅雨の気配は感じられない。

東御苑の二の丸庭園

6月7日。皇居東御苑の二の丸庭園。

小堀遠州が築堤したという庭園に、ハナショウブを見にいった。

初夏の色合い

やはり、この庭園のハナショウブはとても美しい。

まるで絵葉書のようだ。

ハナショウブ2

この日も、訪問者の半分近くが外国人だった。

「きっと日本の庭園、日本の花の美しさに魅せられているに違いない」

そう思うと、誇らしくも感じた。

そしてこの日は、その足で荒川の堤防に行き、走っていた。

堀切菖蒲園

堀切橋まで来ると、近くに「堀切菖蒲園」があるのを思い出した。

せっかくだからとランニングコースから外れて、あの有名な菖蒲園を訪ねてみた。

ちょうどハナショウブの花盛り。

東御苑の数倍もの株が植えられていて、今が見ごろになっていた。

白竜の爪

この花は、名札を見ると「白竜の爪」とある。

遠目で見ると、なるほど白い爪のように見えた。

写楽

これは「写楽」と名がついている。

そういわれると、この花の存在感と自己主張は、何となく謎の浮世絵師・写楽に共通するように見えてくる。

沖の波

これは「沖の波」、なるほど遠くに白波が立っているようだ。

中村汀女の句

たくさんのハナショウブの陰に隠れるようにして、中村汀女(1900~1988)の句碑が見えた。

「花菖蒲 かがやく雨の 走るなり」

昭和59年6月20日、ここを訪れた際につくったと書かれている。

”かがやく雨”という言葉が印象的だ。

花盛り

現在、沖縄、九州から関東・甲信まで梅雨入りしたとみられると気象庁は発表している。

しかし、これまでは全国的に雨量が例年より少なく、今後の推移次第では水不足も心配される。

昭和53年の夏、福岡は記録的な水不足になり、喫茶店に入っても水が出ないということがあった。

その翌年、福岡に転勤したので、深刻な水不足の話をあちこちで聞いたことを覚えている。

近年、各地で深刻な気象災害が頻発。その激しさは、自分が子供だった頃より、明らかに増していると感じている。

地球温暖化に伴う影響だと多くの人が感じているのに、そのための対応の足並みがそろわない。

「残念なこと」と言って、済ませていい問題ではないのだろう。


最後にアクアボードの動画をご覧ください。

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季節は初夏へ~花と台場と豊洲の5月

進む道路建設・豊洲市場近辺

移転をめぐって混迷が続く豊洲新市場の周辺では、騒ぎをよそに、周辺道路の整備が着々と進んでいる。

この写真は、晴海大橋の上から撮影したもの。

ブルーの建築資材に覆われているのが建設中の高速道路で、

ちょうど「ゆりかもめ」のレールの上を高速道路がまたごうとしている。

写真右手に見える建物は、豊洲新市場の建物。

写真に写る道路を、手前から後方に進むと、銀座4丁目の交差点に行き当たる。

銀座三越や和光堂がある交差点だ。

豊洲大橋

こちらの写真は、あたらしく造られた豊洲大橋。
ゆりかもめの「市場前」駅から撮影したものだ。

まだ、一般の車は走ることができないが、工事用の車両は頻繁に通行している。

この橋をわたって、まっすぐ進むと、築地市場に行き当たる。

その築地市場では、つい先ごろ、地下のボーリング調査の結果、環境基準を超える土壌汚染が明らかになり、移転問題は一層混迷を深めている。

昨年11月の移転予定日から、もうすでに半年が経過してしまった。

あしかがフラワーパークの雷鳴

毎年、大型連休の頃になると、あしかがフラワーパークから、藤の花が見ごろになったとメールが届く。

案内に誘われて、久しぶりにバスツアーに参加して藤の花を見に行ってきた。

訪ねたのはみどりの日、
「大気が不安定」との天気予報通り、夕刻から「一転にわかに掻き曇り」、ご覧のような雷鳴に見舞われた。

藤の大木

しかし、激しいにわか雨と雷鳴のおかげで、それまで外国人観光客も含めて混雑していた藤の大木の周辺から人影が消え、

ゆっくりと見事な花を観賞し、写真を撮ることができた。

羊山公園の芝桜

こちらは、秩父市の羊山公園の芝桜、あしかがフラワーパークに行く前に訪れた。

秩父市のシンボル「武甲山」を背景に、絵葉書のような写真が取れた。

こちらでも、外国人旅行者に多く出会った。

晴海ふ頭に自衛艦

5月9日、レインボーブリッジを走っていると、ふだんは大型観光船などが係留している晴海ふ頭に、見慣れない船が止まっている。

自衛隊の艦船のようだ。

北朝鮮の弾道ミサイルの発射で、東アジアの緊張が高まっていることと関連があるに違いない、と思った。

堀切水辺公園

5月25日、荒川堤を走った。

荒川の左岸。葛飾区堀切にある[堀切水辺公園」。

この場所からすぐ近くに江戸時代から続く「堀切菖蒲園」がある。

ちょうど今頃「見ごろ」を迎えているはずと思ったが、この日は立ち寄らずに荒川左岸をさらに北上した。

千住大橋

千住新橋から国道4号線・日光街道に出て南下する。

隅田川にかかる千住大橋に差し掛かる。

奥の細道で、芭蕉が深川の庵を船で出て隅田川を上り、ここから歩いて陸奥(みちのく)へと旅立った場所だ。

橋の名前も、橋の上部の鉄骨に、単に「大橋」とだけ書かれていて、それなりの矜持と風格が感じられる。

橋のたもとには「矢立初めの地」と書かれた碑が建っている。

芭蕉の「奥の細道」の旅は1689年・元禄2年のこと、今から328年前になる。

「奥の細道」冒頭の
「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。
舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらえて老いを迎ふる者は、日々旅にして、旅を栖とす。
古人も多く旅に死せるあり。
予も、いづれの年よりか、片雲の風に誘はれて、漂泊の思ひやまず・・・・・」

このくだりは、日本の文学史上屈指の名文句だと思い、ボケ防止のために、時々電車の中などで口ずさんている。

千住大橋の下には、奥の細道に旅立つ芭蕉と曽良の絵も描かれていて、絵を見ながらその文句を思い出していた。

浅草寺五重塔

ここからさらに南下し、三ノ輪から国際通りを経て浅草に向かう。

三社祭は先週に終わったばかり、しかし、この日も外国人をはじめたくさんの人たちで賑わっていた。

五重塔の下では、まだつつじの花が色鮮やかに咲いていた。

季節は、そろそろ梅雨へと向かう。

長期予報では、今年の夏は暑くなりそうとのこと。

地球温暖化について関心を持たざるを得ないが、、その面からもアメリカ大統領の動向から目が離せない。
近頃、きな臭い話ばかりで、かなり心配だ。

「桜満開」と発表されたけれど

月島、西中橋のたもと

4月2日、気象庁は「東京の桜か満開になった」と発表した。

靖国神社にある標準木で、開花が発表されたのは3月21日。全国で最も早い開花だった。

それから12日、寒い日が続いて、ようやく「満開」と発表されたが、私の周辺にあるソメイヨシノを見ると満開には程遠い状態。

そこで、カメラをもって隅田川下流を走ってみた。

ここは中央区の月島。

月島川のたもとにある桜は、まだ3分咲き程度。画面奥にある水門の先は隅田川だ。

「月島の渡し」の碑がある公園

墨田川左岸の「月島の渡し」の碑がある公園の桜は満開に近かった。

柳の緑とのコントラストが美しい。

隅田川の岸の桜

隅田川左岸のテラスに出た。

左に見える聖路加病院の下は桜並木が続いているが、まだ花の色は見えない。

つくだ煮屋さんの横の桜

名物の「佃煮」を売る店の横に、劇作家の北条秀司の句碑が立っている。

「雪降れば 佃は古き 江戸の島」

碑の横で咲く桜は、緋寒桜の系統のようだ。

早咲きの品種だと思ったが、まだ3分程度の開花だ。

石川島では花見の宴も

佃の隣、石川島に入る。

石川島播磨重工、現在のIHIの発祥の地でもあり、また鬼平犯科帳の長谷川平蔵が、この島に「授産施設」を作ることを進言したことでも知られる。

開花はまだ2~3分程度だが、木の下では、花見の宴が開かれていた。

中央大橋から石川島の桜を見る

中央大橋を渡って、隅田川の右岸に向かう途中、同じ石川島の桜を撮ってみた。

隅田川には「上り下りのふなびと」たちが行き来しているのだが、「春のうらら」とはいかない景色が広がっていた。

今年は、靖国神社だけに、春が一足早くやってきたのだろう。

桜の見ごろは、もう少し先になりそうだ。

マラソン大会真っ盛りの中で

危機期京都マラソンを走る山中伸弥さん

京都マラソンは次の日曜日に行われる。

大会事務局から私に送られてきた参加案内の中に、ノーベル賞受賞者の山中伸弥さんも、このマラソンを走るとのチラシが入っていた。

多くの難病患者に希望を届けるための「IPS細胞研究基金」に、協力を呼びかけるためだという。

「非正規雇用が9割の研究所員の長期雇用等に役立てたい」と書かれている。

日々、忙しい毎日の中で、マラソンに向けて練習を積んでいるだろうことを想像すると、頭が下がる思いがする。

実は、山中教授のマラソンの持ちタイムはかなりのものだ。

去年10月の大阪マラソンでは、「3時間42分58秒で完走し、自己ベストを更新」したとの記事を読んだ。

54歳で、このタイムで走れるのはすごいし、マラソンを走って社会に募金を呼びかける取り組みも素晴らしいと思う。

山中さんと、同じ日に同じコースを走るのを楽しみにしていたが、ひざのケガが完治せず棄権することにした。
とても残念だ。

私としては、これで去年2月の姫路城マラソンに続いての棄権となってしまった。

次のマラソンシーズンは、今年の晩秋だが、それまでにはひざを直し、マラソンを走れるように鍛えたいものだ。

河津桜が満開

マラソンに参加するため、大会の直前までトレーニングをしてきた。

2月13日、レインボーブリッジを渡ってお台場まで往復した。

歩くのと同じほどのゆっくりしたペースでレインボーを渡り終えると、橋のたもとに植えられている河津桜が目に入った。

すでに満開になっていた。

海浜公園の春

今年も立春を過ぎてから、各地で真冬の寒さが続いている。

今月中旬にかけて、日本海側の各地で大雪となり、特に山陰では記録的な積雪を記録している。

しかしそうした中にあっても、春は着実に近づいてきているは、この写真を見ればよくわかる。

皇居東御苑・二の丸庭園

16日には、皇居東御苑に春を探しに訪れた。

二の丸庭園は、まだ冬の色合いだった。

宮内庁のまとめによれば、去年・2016年の東御苑の入園者は、過去最高の145万人余りに上る。

週5日開園だから、1日当たりの訪問者は約5、600人。

このうち外国人の割合は、4割にも上るという。

ここ二の丸庭園はは6月になると、花菖蒲が見事な花をつけ、たくさんの人で賑わうが、この日は人影はまばらだった。

梅林坂の梅

二の丸庭園の近くの梅林まで足を延ばした。

ここは私が、東御苑の中でも最も気に入っている場所の一つだ。
その名も「梅林坂」という。

今は五分程度の開花で、あと1週間もたてば満開になるだろう。
そうすれば、素晴らしい写真を撮ることができそうだ。

ここでも外国人の姿が目立ったが、日本の花木の美しさを理解し、楽しんでもらいたいなと思った。

メジロかな

梅の花の中に、小鳥の鳴き声が聞こえたので探してみた。

メジロが、ウメの花の中に首を突っ込んで蜜を吸っては、花を渡り歩いていた。

花びらを揺らし、チチチッと泣きながら次の花に移っていく。

「花より団子」に夢中のメジロ、
その姿を、また来週、見に来よう。





「桜」の後は「なんじゃもんじゃとハナミズキ」

小名木川近くで見かけた「なんじゃもんじゃ」

先日、江東区の小名木川の近く、仙台堀公園の入り口で、

雪が降り積もったように、白い花をたくさんつけている木を見かけた。

遠目にも華やかで、とても目立つ木だった。

根元に木の名前を書いたプレートがあり、「ヒトツバタゴ 別名なんじゃもんじゃ」と書いてあった。

「なるほど、これがなんじゃもんじゃの木か」と、去年の秋、神宮外苑見でかけた「石碑」を思い浮かべた。

絵画館

神宮球場の近くにある「聖徳記念絵画館」。

明治天皇の事績を紹介する絵画が展示されている施設で、その正面入り口に向かって右側の植え込みの中に、次のような石碑が残されている。

ヒトツバタゴの碑

江戸時代、この付近に”「別名なんじゃもんじゃ」と呼ばれるヒトツバタゴの名木があった”と書かれている。

明治神宮のホームページには、この木について次のように述べられている。

「なんじゃもんじゃ」とは、正体不明の木のことで、

江戸の昔、六道が交差する「青山六道の辻」にあった名前不詳の木がそのように呼ばれたという(別名 六道木とも言われた)。

ヒトツバタゴ

この木の正式な名前は「ヒトツバタゴ」、モクセイカ科の落葉高木で、五月に雪のような白い清楚な花を咲かせる。

ヒトツバタゴとは、一つ葉のタゴという意味で、タゴとはトネリコのことだという。

江戸の昔から有名だったその木は大正13年に天然記念物に指定されたが、昭和8年に枯死してしまった。

ここ外苑の聖徳絵画館前には、根接法により1代目の木から得たものを昭和9年に植え継がれたとされる2代目の木があった。

しかし、その木も木も枯れてしまって今はない。

だが、この写真を撮った時に公園を管理している人に聞くと、

なんじゃもんじゃの木は、この碑の近くの外苑や明治神宮の内苑にも植えられていて、5月になるとみごとな白い花を咲かせると話していた。

神宮外苑、内苑にある「なんじゃもんじゃ」も、今頃、きっと見ごろを迎えていることだろう。

代々木公園のハナミズキ

こちらは、代々木公園で見かけた「ハナミズキ」。

桜のあとを受けて、 華やかに咲き誇っていた。

アメリカからのへお返し

近づくと、木のそばに、こんなプレートが立っていた。

「米国から日本の皆様への贈り物」と書いてある。

ハナミズキは、1912年(大正元年)、当時の東京市長・尾崎行雄がアメリカに送り、ワシントンのポトマック河畔に植えられた桜のお礼として、日本にやってきた植物と聞いたことがある。

このハナミズキはまだ若い木だ。

その背景にどんなことがあるのか、調べてみた。

東京タワーの見える公園で

ここは、東京タワーを写す絶景ポイント。

左には「なんじゃもんじゃの木」、右のほうには、「ハナミズキ」の若木が見える。

ハナミズキは、今から100年も前に日本にやってきているのに、老木を見かけることは少ない。

どんな経緯があるのか調べてみようと、まず米国大使館のホームページを見てみた。

そこには、こんなふうに書いてあった。

”日本からのサクラ寄贈から100周年を迎えるのを記念し、米国政府と日米交流財団が共同で設立した官民パートナーシップ「友好の木―ハナミズキ・イニシアチブ」は、米国民からの返礼として3000本のハナミズキを日本に贈ることを決定し、2012年11月16日、そのうち最初の100本を東京都立代々木公園に植樹しました。残りは両国の友好を示す変わらぬシンボルとして、今後3年間かけ、都内のほか、東日本大震災の被災地である東北地方をはじめとする日本各地に植樹する予定です”

この程度のことしか書かれていなかったので、なぜ今、桜への返礼なのかよくわからなかった。

国立代々木体育館のハナミズキ

ネット上でその辺の背景を調べていくと、おぼろげながら次のようなことが分かった。

アメリカに桜の苗が送られてから3年後の1915年(大正4年)、アメリカから感謝のしるしとして日本に届けられたハナミズキの苗は40本。

日比谷公園などに植栽されたが、その後の戦争の中で「敵国の贈り物」として、そのほとんどが所在不明になってしまった。

今からおよそ100年前に日本にやってきたハナミズキのうち、現存するのは、東京・世田谷区の都立園芸高校にある老木のほかにネット上からは確認できなかった。

本郷の東京大学付属小石川植物園にも、その時に送られた老木があったそうだが、今では枯死してしまったとの記述を見つけた。

これまで、都立園芸高校の原木から育成した木が、日比谷公園や、100年前にアメリカに桜を送った関係者のゆかりの地に植えられているとはいえ、花をめぐる日米の交流を物語るものとしては物足りない。

100年前にポトマック河畔に植えられた桜は、全米の名所となり広く知られているが、

ハナミズキの物語は、それと比べて知名度は少ない。

花をめぐる友情の話として、これからの100年をにらんだものなのだろうと思った。

なんじゃもんじゃもあった

桜に続く花暦は、なんじゃもんじゃとハナミズキ。

もう間もなく「立夏」を迎える。

プロフィール

め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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